忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

歯車の代替性と重要性

 

 今の所属部署は主業務ではないもののグローバルなお仕事も引き受けているため海外出張が多く、9月にも二度ほど海外へ行ってきます。

 そのため、今はなんだかんだてんやわんやです。出張でやる仕事の準備、出張のための各種手続きや手配、居ない間にやらねばならない仕事の前倒し処理、その他海外へ行くために必要な細々とした準備、などなど諸々のやるべきことが目白押しです。

 

 10月に予定されているドイツ出張は私以外がアサインされたので少し仕事のペースに余裕はできましたが、個人的にはむしろヨーロッパなら私が行きたかった気持ちも無きにしも非ずだったり・・・実はまだヨーロッパには行ったことが無いので興味津々です。

 景気が良い時期であれば勉強や経験を理由に私も付いていくことができたでしょうが、昨今は物価上昇の煽りを受けて派遣できる人数に制約ができてしまったため、今回はお留守番です。残念。

 

 ちなみに直属の上司は私の倍くらい海外出張へ行っています。

 凄い。(小学生並みの感想)

 

歯車の代替性

 海外出張で一番しんどいのが帰国後です。行っている間はなんとかなりますし、なんともならなくともなんとかします。そこは気合でどうにでもなる範囲です。

 自画自賛になるようなことはあまり言いたくありませんが、海外へポンと放り投げても仕事ができると評価されている人しか海外出張は任されませんので、必然的に海外出張へ行っている間はむしろ能力の範囲内で仕事ができます。

 しかし帰国後はそうもいかないのが常です。海外にいた間に溜まっている仕事は他人が肩代わりできなかった仕事ですので、なんとか自力で処理せねばなりません。せめて居ない間の仕事を全て誰かが代わりにやっておいてくれると助かるのですが、それはさすがに高望みが過ぎるというものです。

 

 会社員は「社会の歯車」と揶揄されることもありますが、仕事においてある程度の属人化は否応なしに発生するものであり、常に誰かが肩代わりできるとは限りません。

 と言いますか、社会の歯車的皮肉は労働者がたくさんいた時代にしか通用しない話であって、人手不足のこのご時世では意味合いすら異なります。替えが効く存在どころか予備の歯車を常備している組織なんて今時はなかなかないでしょう。そして歯車が一つ欠けたら機械は動かなくなります。「社会の歯車」的表現はむしろ重要部品としての存在価値を意味する言葉に変わりつつあるのかもしれません。

 

 でも個人的には予備の歯車を用意しておいて欲しい気持ちです。「お前の代わりはいくらでもいるんだぞ!」とか言われてみたいです。「お前が居ないと困る」なんて、そんなの重荷でしかありませんし。

 

結言

 まあそんなわけで忙しくお疲れ気味ではございます。この土日も疲れていたせいでほとんど寝て終わりました。細々した準備をしたかったのに気付けば夜中です。困ったものです。多分、海外へ行っている間が一番気楽です。