忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

大人と子どもの誹謗中傷

 

 社会が大人に厳しいのは仕方がない。

 

誹謗中傷は犯罪

 インターネット上では毎日どこかしらで誹謗中傷が飛び交っています。

 誹謗中傷の加害者として訴えられた人の多くは「正当な批判・論評だと思った」と言い訳するそうですが、「根拠を持って」「非攻撃的に」為されるものだけが批判であり、批判と誹謗中傷は似て非なるものですらなく完全に別物です。僅かでも攻撃性があればそれは批判足り得ません。

 

 そして誹謗中傷は犯罪になります。民事・刑事ともにです。

 もちろん厳密には構成要素を満たさなければ犯罪とはなりませんし親告罪ですので被害者が訴えるかどうかによりますが、そもそも誹謗中傷は犯罪だと考えておいたほうが無難です。程度や回数は被害者や弁護士の判断によるところですので誹謗中傷が度を越えていたかどうかで考えてもあまり意味がなく、そもそもやってはいけないことと覚えておきましょう。運が悪いと訴えられるグレーな行為ではなく、運が良ければ訴えられないダークな行為です。

 

大人と子どもの差

 誹謗中傷は老若男女問わずやりかねません。

 とはいえ若者が誹謗中傷をしてしまうのはまだ分かります。これは単純な理由で、若者は未成熟で想像力が不足しているためです。

 想像力は人生経験や幼少期における物語との触れ合いなどによる教育訓練によって育まれます。エリクソンの発達段階でも青年期(14~20歳)までは自己アイデンティティの確立に費やされる期間とされており、外部である社会を熟慮し出すのは成人期(20~40歳)以降です。

 そのため他者を誹謗中傷することによる社会的な影響を子どもに想像させることはまだ難しくあります。

 未成熟な子どもにとっては自身の快不快が世界の中心であり、子どもが「キモい」「ウザい」のような他者を傷つけかねない言葉を気軽に吐くのも、自己の外への未配慮、すなわち想像力が単純に不足しているためです。

 それに対する適切な教育は必要ではありますが、子どもが乱暴な言葉を用いることは成長の過程上ある程度仕方がないことだと受忍する必要があります。

 よって私はネット上での子どもの誹謗中傷事件に関しては少し同情的です。今の大人たちも昔子どもだった頃には乱暴な言葉遣いをしていたわけで、今の子どもたちは昔よりも早く社会性を身に付けなければならない大変さがあることは留意しておく必要があります。

 もちろん私が同情的なだけで、子どもだからと誹謗中傷が許されるわけではありませんが。

 

 対して大人が想像力欠如であることは、それが障害や医学的な症状でない限り基本的には許容されません。それは知的怠惰として罰せられます。大人は誹謗中傷が犯罪であることをちゃんと理解して、自らの言動が社会に適合しているかどうかを考慮しなければなりません。考えていなかったは許されず、考えることが大人の仕事です。

 厳しい話ですが、大人は社会的役割を果たすことに対して義務を持ちます。その義務を果たせる人こそが大人です。よって規範を逸脱して犯罪をする権利はありませんし、犯罪を犯したら罰せられます。

 大人であればそれを理解して誹謗中傷をしない程度の常識的な想像力を具備していなければなりませんし、そうでないならば法に基づいて裁かれるのはやむを得ないことです。社会は大人が子どものように振る舞うことを許容しません。

 

結言

 「誹謗中傷は犯罪となる場合があります」は事実としては正確なのですが、この言説だと人によっては「軽度であれば許される場合もある」と誤解しかねないと思っています。

 もっと率直に、「誹謗中傷は訴えられたら負ける犯罪なので程度を問わずやってはいけない」と周知してもいいのではないかと考える次第です。