以前にも書いたことを、もう少し丁寧に。
比例が成立する条件は限定的
世の中には自然体で職業差別をする人が多々見受けられます。
その根底には何があるのか、そこにはどうにも能力と収入に強い比例関係があるとした誤解が一因となっているのではないかと考えています。或いは昔から言われているような学歴と収入の相関も同類です。「優れた人が高給を得るものだ」、転じて「収入が低い人は優れていない人だ」、そういった誤解が能力と収入を関連付けてしまい低収入の職業に対する差別意識を生み出しているのではないでしょうか。
現実を鑑みると、能力と収入に相関や比例関係が生じるのは極めて狭い限定的な条件のみとなります。それこそ同じ場所で、同じ組織で、同じ仕事をしている場合であればまだ辛うじて比較が可能ですが、場所・組織・職業などが変われば単純比較はできません。
例えば野球選手で同チーム同ポジションの選手であれば基本的には能力と収入にある程度の比例関係が成立するでしょう。もちろん彼らの年俸は成績と能力だけで決まるわけではありませんが、将来性やプロモーション効果も含めて能力と定義すれば概ね比例関係を持つと言えます。
次に、日本のプロ野球選手の平均年俸は4000~5000万円です。
対して日本のプロバスケットボール選手の平均年俸は1000~2000万円と言われています。
この差を見て『プロ野球選手はバスケットボール選手よりも収入が多いので能力でも勝っている』と考えるのは当然ながら早計でしょう。どちらもアスリートとしてトップに君臨する優れた能力を持った選手たちであり、年俸の差は選手個々人の能力の差ではなく市場規模の違いやスポンサーの量が生み出しているためです。
都会のコンビニは田舎のコンビニよりも時給が高くなります。
離島で働くお医者さんは都会で働くお医者さんよりも一般的に高収入です。
同じ職種、同じ職務内容でも企業によって収入は変わります。
勤め人の収入はそれぞれの国や業界の景気にも依存します。
少し考えてみれば簡単な理屈です。能力と収入はまったくもって単純な比例関係にはなく、それ以外の変数がむしろ支配的です。
結言
能力は収入を決める際の一変数に過ぎず、能力と収入の関係性を過大評価するのは明らかな誤認です。優れていれば高収入になるわけでもなければ優れていなくても高収入を得らえる人もいます。
そんな当たり前のことを理解すれば、少なくとも所得に起因する職業差別意識を無くすことができるでしょう。