「アルバイトは仕事に対して責任なんてない、休みたい時に休んでいいしサボってもいい。最低賃金で雇った労働者に多くを求めるな。仕事への意識を高めて欲しいならもっと給料を払え」的な言説を時々見かけます。
いや、まあ、気持ちは分かります。
要約すれば「もっとお金をくれ」であり、それは多くの人々が持つ素直な欲求です。
ただ、もっともらしく聞こえるもののちょっと論理の建付けが甘いような気がするので、少し自論を述べていきます。
責任感・給料・労働契約
拝金主義や資本主義に染まり過ぎると忘れがちなのですが、給料の多寡は仕事への意識とは無関係です。たくさんお給料をもらっていても責任感が全然無い人もいれば、少ないお給料であっても高い責任感を示す人もいます。
そもそも賃金は個人の何かしらを示す絶対的なバロメーター足り得ず、能力と所得は必ずしも相関関係にはありません。稼ぎの多い人が優秀で稼ぎの少ない人は無能だと考えるのは物事を単純化し過ぎています。個人が得られる収入は業種や職種、需要と供給、地域性や景気に大きく左右されるものであり、個人の能力、ましてや個人の意識や責任感なんて特に賃金労働者であれば短期的にはほぼ無関係です。
とても簡単な例示として、同じコンビニ店員であっても田舎と都会では時給が違うように、です。同じ仕事・同じ責任範囲でも時給は異なりますし、それはやる気や責任感とは無関係のところで決まります。
そもそも給料とは労働契約に基づいて提供される労働やその成果に対して支払われるものであり、個人の責任感に対して支払われているわけではありません。
よって「高い責任感を発揮してもらいたければもっと給料を払え」は理屈的に正しくありません。
対して仕事をサボったり勝手に休んだりする行為は意識や責任感の有無といった話ではなく単純に労働契約への違反であり、給料に影響するのは必然です。
とはいえ、長期的に見れば責任感と給料の間には多少の関連性が生じます。
雇用側としては当然ながら無責任な人よりも責任感の強い人を手元に抱えたいものであり、責任感を示すことは給料やポジションなどの待遇が改善される可能性があるためです。
つまるところ厳しい話とはなりますが、責任感と給料は単純相関に無く、順序も一方通行です。高い責任感を示すことで高い給料になるパターンは有り得ますが、高い給料に応じて高い責任感が生じるわけではありません。
もちろんこれだけが理由ではなく、短期的には責任感と給料は無関係ですし給料の多寡は別のパラメータが支配的です。
ただ、少なくとも機序としては「給料が低いから責任感が無い」ことは考え難く「責任感が無いから給料が低い」ことは有り得る、そういった話です。
結言
話をまとめていきましょう。
■収入を決めるパラメータは外的要因が多い。個人の能力や意識の問題に矮小化すると見誤る。
■給料は個人の意識に対して支払われていない。よって給料の大小と責任感を連動させた言説は論理的に正しくない。
■責任感と給料のどちらが先に上がるかと言えば、あり得るのは責任感のほう。
辛辣な表現を用いるのはあまり好みではないのですが、「最低賃金だから責任感が無いのは仕方がない」と論じるのは自らの責任感の無さを給料の多寡に責任転嫁しているだけであり、まさにこのような言説こそが責任感の無い人間の戯言である、と思われかねない以上、あまり大っぴらに語るようなことではないかと思います。