今回の記事は漫画の一セリフから話を展開していく、そんな軽い感じです。
内容がそこそこヘヴィになりそうなため流れは軽くしておきましょう。
争いの”非”双方向性と、生起の抑止
最近、漫画『バンデット』の画像をやたら見かける機会がありました。たぶんオリンピックの影響かと思います。すでに完結済みの漫画ですが全6巻ならサラッと読んでみるかと大人買いしてみたところ、ちょっと血生臭い漫画で人様にはおススメしにくいですがなかなかに面白かったです。
で、この漫画で恐らく一番有名なセリフ、ネットミームと化している言葉はもちろんこれでしょう。
「侍の本懐とは ナメられたら殺す!!」
たいへんに物騒な台詞ではございますが、個人的に凄く合理的で納得感があります。
前提として、私は争い事を好みません。
それに娯楽性を見出すタイプではありませんし、合理的に考えても損失が大きいためです。双方の資源を浪費し合う争いをするくらいであればWin-Winのビジネスをしたほうが費用対効果に優れています。よって少なくとも私から積極的に他者へ争いを吹っ掛けることはまずしません。
ただ、世の中には争い事を好む方、他人を舐めて争いを吹っ掛ける類の馬鹿者が残念ながら存在しています。その手の人は下と見なした相手を邪険に扱ってもいいと考えるものです。
そのような人の存在がある以上、争いとは必ずしも双方向性のものとは限らず、双方向のものを喧嘩、一方的なものを暴行と呼ぶ違いはありますが、いずれにせよ片一方の意志でも争いは生じます。
そういった類の人と接する際の方向性をいくつか例示してみましょう。
例えば「持っているものを全て差し出す」こと。
これは自身が暴力を振るう愚は避けられていますが、争いの生起自体を解消できておらず一方的な暴行が生じることになります。
あるいは「上に立って押さえつける」こと。
たとえ物理的な暴力を振るわなくても、無形の圧力によって他者の行動を抑制する行為は暴力と評するに値します。よってこの方向では自らが暴力の行使者へと変貌するだけです。
もしくは「逃走する」こと。
可能であればこれは良い選択です。関わらなければ争いの生起を避けることができます。ただ、現実的にはいつ何時でも逃走が可能とは限りませんので常に選択できるわけではないことに留意が必要です。
最後に「対等の関係性を構築する」こと。
これは逃走が叶わない場合に選択すべき、争いの未然防止に資する行為です。
他人を舐めて争いを吹っ掛ける類の馬鹿者は、逆に言えば舐めることができない相手には争いを吹っ掛けません。つまり舐められないことは抑止の一種であり、争いを減じる効能があります。
舐められないことの”程度”
上に立てば舐められなくなりますが、それでは暴力の行使者が自身になるだけで争いの生起自体を避けられていません。舐められない上で重要なのは対等の関係となることです。
そのためには「鏡返し」が有効です。相手にされたことをそのまま返すことは同程度の能力を持っていることの証明であり、同時に対等の関係を築きたいとした意志を伝える外交メッセージとなります。
さらに言えば、やり返し行為は時に双方の行為が過激化していくエスカレーションへと至る危険がある中、鏡返しはエスカレートの抑止にも繋がることが優れています。もっと言えば、鏡返し以上の行為は相手へ「もっとやり合おうぜ」とメッセージを送っているに等しく、それでは争いの抑止に繋がりません。
冒頭に引用したセリフへ話を戻しましょう。
「侍の本懐とは ナメられたら殺す!!」
このセリフは鎌倉時代末期の戦乱期が作品の舞台設定なために過激な表現が用いられていますが、「ナメられたら殺す」ということは「ナメられなければ殺さない」ことも意味しており、物騒なように見えて実に受動的だと言えます。
また物語の舞台設定は戦国期の過酷な時代であり、表現は過激ですがやっていることは鏡返しです。
私は争い事を好みませんので基本的には逃走を選びますが、舐められたら舐められないよう牙を剥くこともしますし、攻撃されたら同程度の反撃を行います。鏡返しを行うことで一時の争いが生じるものの、その姿勢を示すこと自体が将来的な争いの抑止に繋がるためです。
つまり発想は「侍の本懐とは ナメられたら殺す!!」に近いものであり、だからこそこのセリフに納得感を覚えています。
結言
争いを忌避するタイプには雑に分類すると2種類あります。
一つは「世に争いがあっても自身が避けられればよい」と考える人で、自らが暴力の行使者になることを避けることが目的です。
もう一つは「世の争いを減らしたい」と考える人で、他者が暴力の行使者になることを止めることが目的です。
私個人は後者の発想ですが、これはどちらが偉いとかそういう話ではなく、世の争いを減らすためにはどちらも必要な視点です。前者が増えることは他者へ争いを吹っ掛ける人がそもそも減ることを意味しますし、後者が増えれば他者へ争いを吹っ掛ける人がいても多くの争いを抑止することが可能です。
個人というミクロな範囲ではなく、国家のようなマクロな視点でもこれは変わりません。前者の人は軍事の不要を唱え、後者の人は軍事による抑止を唱えます。
双方の意見や考え方は異なりますが目的は同じ「争いの回避」であり、協業できる思想ですので、尊重し合えるとよいかと思います。
余談
「侍の本懐とは ナメられたら殺す!!」
これは別に侍に限らず日本人の精神性に近いような気もします。
専守防衛を旨とする日本の防衛思想なんてまさにこれでは?