普段、当ブログでは時事問題を直接取り扱いません。時事問題は鮮度がありますし、実際には無数の背景情報があり切り取られた単独のニュースで何かしらを語るのは視野狭窄に陥りかねないと考えるためです。そして背景情報を踏まえた解説などは専門家やジャーナリストが行う仕事ですので、やはり当ブログで語るようなことではありません。そもそも個人の感想であればSNSへ行けばいくらでも流れています。
よってこのブログでは様々な時事情報から表面的な部分を削ぎ落して本質の部分を主題とするように心がけています。
昨日の記事は時事問題に対して解説を含めて直接的に取り扱った珍しいパターンですが、この記事ではいつもの調子で主題部分を抽出してみましょう。
昨日の時事問題から抽出するテーマは「理想と人命」です。
理想で他者を殺すことの是非
この手のテーマを考える度、田中芳樹のSF小説『銀河英雄伝説』ヤン・ウェンリーの台詞が思い浮かびます。
「中尉……私はすこし歴史を学んだ。それで知ったのだが、人間の社会には思想の潮流が二つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と、生命に優るものはない、という説とだ。人は戦いをはじめるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。それを何百年、何千年もつづけてきた……」
銀河英雄伝説1 黎明編
「理想」と「人命」の価値は常に天秤へ掛けられてその軽重が競われます。
ただ、このブログでも度々書いてきたように私は明示的な功利主義者であり、実利を重視しています。
よって理想よりも人命が優先です。
たしかに理想は尊いものです。そこへ辿り着けるのであればどのような犠牲を払ってもいいと考える人は多々いることでしょう。
しかしその理想は個人の理想に過ぎません。他者は他者で異なる理想を抱えているものであり、誰もが納得する完全無欠の理想はこの世に存在しません。個人の持つ理想は、どれだけ全体のことを考えていたとしても個人の理想の域を出ないものです。
よって己の理想のために己のみならず他者の生命まで蔑ろにすることは、他者が持つ理想までも踏みにじっている点からして理想を優先しているとすら言えず、ただの独善であり唾棄すべきものだと考えています。
理想を理由に暴力を振るうことの否定
強制力をもって他者へ望まない行動変容を図る行為は全て暴力です。
そして私は功利主義的発想より「すべての人々にとって避けられる苦痛の最小量を要求」する思想を基に、暴力を否定します。少なくとも暴力の要否はすべての人々にとって避けられる苦痛の最小量を希求できるかどうかを基準に社会的な合意が不可欠です。それこそ警察のような暴力は苦痛の最小化へ繋がるため許容されて、ヤクザのような暴力はそうではないため社会的に否定されるようにです。
その点からして、どのような理由があろうとも個人が暴力の要否を判断することは苦痛の最小化とはならないため許容できません。「あいつは悪だから叩いてもいい」と暴力を振るっていいかどうかを自らの考えで線引きするような暴力の恣意的な運用は必ず自分の都合が良い線引きをするようになるためです。どれだけ善のメッキを貼り付けていようとも、暴力が否定される世の中で暴力を振るった時点ですでに自分の都合が良いように恣意的な運用をしているのであり、必定です。これは善だから、これは正義だからと己で善を定義すること、これを人は独り善がりと呼びます。
理想も同様です。これは理想のためだからと他者に犠牲を強いる人間は、犠牲になる人の理想を踏みにじっている点で真に独善であり、許容されるべきではないと考えます。
理想は理想であり、免罪符ではありません。
結言
理想そのものを否定するわけではありません。理想は素晴らしいものであり、そこへ辿り着こうと努力することも素晴らしいことです。
ただ、理想を棍棒のように振り回して他者を害することは決して善ではなく、理想とは素晴らしいものだからこそその取り扱いには注意が必要だと考えています。