忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

アンフェアな批判は好まない:生産性を例として

 デメリットを提示しない一方的な批判はフェアではないと思う話。

 

フェアな批判

 個人的な趣味ではありますが、私は民主主義と自由主義を是とする思想であり、誰であろうと権利は平等に所有していて公平公正に扱われるべきだと期待しているため、公平公正をとても大切だと思っています。

 

 そのため批判についても同様の考え方です。過度な党派性に寄り過ぎていたりデメリットを隠してメリットだけを喧伝するような批判は民主と自由に必要なフェアネスが無いことからあまり好みではありません。

 もちろん一部の批判はそういったことに対して無意識なだけで、純粋たる善意に基づいて行われている場合もあります。「こうしたほうがいいのに何故やらないのか」、それはきっと多くの場合で善意からの指摘なのでしょう。

 しかし、発信には必ず責任が伴います。たとえ批判の根源が善意であろうとも、そして無意識や無知による結果であろうとも、フェアでないことの免責とはならないことに留意が必要です。

 

 具体的な例示を用いてみましょう。

 日本の労働生産性は先進国の中でも低いことからよく批判の的となります。

 しかし「労働生産性が低いことは問題だ」とする単純な批判は実のところあまり公正ではありません。まずそもそも労働生産性が高いことは善なのかについて論証がありませんし、労働生産性を高めることによるデメリットも開示されていないためです。

 国家間で比較される労働生産性は主にGDPによって定まります。そしてGDPとは国内で生産された付加価値の合計です。

 つまり労働生産性を高める方法はとても簡単で、労働生産性の低い分野から高い分野へ労働者を集約すればいい話です。

 

 今回はもっと露悪的に語りましょう。

 都会と田舎では同じ仕事をしていても給料が違うように、金融と農業が同じ時間だけ汗を流して働いても利益が違うように、付加価値の産出量や個人の年収などは個々人の能力とは比例せず、地域性と産業の種別に強く依存します。付加価値は労働量によって決まるのではなく、労働に対してどれだけの財布があるかで決まるためです。

 例えば介護職の年収がなかなか高くならないのはこれが理由で、その年収や付加価値量は労働の強度や労働量ではなく介護が必要な人々が出費できる金額に依存します。

 つまり動く金額が大きければそれだけ付加価値の産出量が大きくなりますので、それこそ福祉や農林水産業で働く人々を金融保険業のような労働生産性が高い産業へ強制的に転職させれば、日本も金融国家ルクセンブルグのように高い労働生産性を確保することができるでしょう。

 つまるところ、国家の労働生産性の単純比較とは産業構造の比較であるに過ぎません。個々人のやる気や努力は変数ではないどころか関係すらありません。

 よって国家の労働生産性を高めるのであれば産業構造を変革する必要があります。

 そしてその主張は露悪的に言うなれば「福祉や第一次産業、サービス業を削って人々の日常や生活の根底部分を不安定にすべきだ」と同義に近い主張です。

 もちろん労働生産性の低さを批判する人にはきっと悪意は無いと思っていますが、そういったデメリットを詳らかに提示しなければフェアではない、そう思っています。

 

結言

 批判や主張自体を否定するつもりはありません。それを言明することは自由です。

 ただ、デメリットを提示せずにメリットだけを提示するのは詐欺師の仕草でありある種の優良誤認に他ならず、それはあまり好みではありません。

 もちろん批判には悪意など無い場合がほとんどでしょうが、社会とは行動や結果に対して責任を負うものであり、情状酌量の余地はあるものの無意識や無知は発信者の責任を免除しません。

 

 

余談

若者「環境問題を解決するためには人々の意識を改革して全力で行動する必要があります」

私「ちょっと根性論が入ってるような気はするかな。できることはもちろん全力ですべきだけど、できないことだってあるよ」

若者「コロナ禍では世界のCO2排出量が減りました、皆が意識してやればできるんです」

私「うん、そうだね。経済活動が停滞したからね、そりゃCO2排出も減るさ。その影響で首を吊った人もいっぱいいるけど。石炭だって使わないのは簡単だよね、電気を使えずに肺炎で亡くなっている開発途上国の女性を毎年何百万人もそのまま殺し続ければCO2排出を増やさなくて済む。君が言っているのはそういうことだよ。そういったデメリットを甘受すべきだと主張するならそれはそれで一つの主張だし構わないけど、デメリットに言及しないのはフェアではないかな」

 

 ちょっと毒を吐いてしまった図。大人げない。

 フェアな主張であれば「CO2排出削減のために人類を減らすべきだ」とする主張だって私は良いと思います。それに同意するかは別として。