忘れん坊の外部記憶域

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生産性は高ければいいのか

 ビジネス系のサイトを見ていると週に一度は目にするのが生産性に関する記事です。一昔前は「どうして日本の生産性は低いのか」「本当に日本の生産性は低いのか」というような方向の記事が多かったですが、最近では「生産性を高めるにはどうすればいいか」という記事が主になってきています。日本の生産性が低いことはすでに常識となったようです。

 日本の生産性に関しては過去にも記事を書いています。

 今回は、生産性とはなんぞやというよりも、生産性を高めれば万事解決何もかもハッピーなのかということを考えてみたいと思います。

仕事の効率を上げても生産性は上がらない

 ビジネス記事では「生産性が低いのは効率が悪いからだ、業務効率を上げて残業を減らせ」と言わんばかりに効率を高めることが布教されています。では残業が減れば生産性は高まるのでしょうか?

 過去の記事でも書いたように生産性には種類がありますが、今回取り扱うのは一般的に用いられている国家の1人あたり労働生産性(GDP/就業人口)とします。日本の生産性が他国よりも低いとされる場合に用いられるのはこの生産性が主です。

 さて、世の中には残業代前提の基本給になっている業界が残念ながら多数ありますので、仕事の効率が上がって残業が減るとその分人々の収入は減ります。収入が減ると当然サービスや商品を買いにくくなります。買えなくなると経済の流れが鈍化しますので結果としてGDPは低下します。GDPは付加価値の合計ですが、サービスや商品はそれを購入する顧客が居て初めて付加価値として計上されるのです。作った時点でGDPに換算されるのであれば1個1億円のネジでも量産すればいい事になってしまいますので。

 つまるところ、仕事の効率が上がって残業が減れば減るほど生産性の数値は下がることになります。

 仕事の効率を上げる必要は無い、という意味ではありませんよ?だらだら残業せずにちゃちゃっと仕事を終わらせて家に帰りプライベートを充実させたほうがQOLは向上します。ワークライフバランスは大切です。残業なんて無い方が良いのです。国家の労働生産性という指標と仕事の効率は正の相関関係には無いというだけの話です。

生産性を高める方法 その1

 個々の人が仕事の効率を上げても生産性が高まるわけではないという話ですが、ではどうすれば国家の労働生産性を高めることができるのか。

 これは単純に反対のことをやればいいわけで、つまりお給料を上げればいいのです。お給料を上げればいいのです。大事なことなので2回言ってみました。収入が増えれば商品やサービスを今よりもさらに購入する人が当然増えます。売れるのであれば企業は今よりも生産しますので、売り買いが増えて経済が回り、世に産み出される付加価値の合計が増加します。つまりGDPが増加して生産性が高まるということです。

 かつての高度成長期に作れば作るほど売れたのはそれだけ世の中の収入に余裕があったからで、現在はそうではありません。企業も慈善事業ではありませんので無駄に作ることなんてせず売れる分だけ作るものです。つまり買う側の収入を上げてしまえばそれだけ企業も売れるものを作るようになり付加価値の合計が増えるというだけの単純な話です。

 一応補足ですが、何も考えずに給料を増やせという意味ではないです。失業率や市場環境、企業体力の問題がありますので、何事もバランスが重要です。ただ、給料を減らすことは株主の利益には資するものですが、生産性には資さないどころか悪化させるものですので、生産性を上げたいのであれば給料を上げればいいということです。

生産性を高める方法 その2

 もう一つ生産性を高める方法がありますが、こちらはあまり私の好みではありません。国家の労働生産性(GDP/就業人口)の分母側を小さくしてしまえば計算上の生産性は高まります。つまり、あまり付加価値を産まない業種を潰してしまうか、業務効率の悪い従業者を解雇すると生産性が高まります。

 例えば農林業や水産業はあまり付加価値の生産効率が高くありません。反対に金融業や不動産業は動くお金の額が大きいことから付加価値の生産効率が高い業種です。よって極論ですが全国民が金融業で働けば生産性は高くなります。生産性ランキング上位の国を見れば分かるように、ルクセンブルクやアイルランドが上位にいるのは金融業を主体としている国家だからです。

 しかしながらそのようなモノカルチャー経済は大変に不安定なものとなります。目先の生産性が高まったとしても金融危機が起これば国家機能はマヒして福祉が崩壊することになるでしょう。

 また就業していない人は生産性の計算から除外されますので、優秀な人だけが働いてあまり仕事が早くない従業者を解雇することでも生産性は高まります。しかしそれは格差の拡大や失業者の生活苦を招くことになります。

生産性を高めればいいのか

 そもそも生産性を高めることを主目的とすべきなのでしょうか。確かに生産性が高いという言葉の響きは一流のイメージを持つかもしれません。またグローバル化した現代社会において低生産性では競争に勝てないのは事実ではあります。よってミクロの視点で生産性を高めることには同意します。しかし国家というマクロの視点ではまた別です。国家が目的とすべきは国民の生活を安定させること、非常時にも国家運営が安定できるように多方面に手段を残すこと、仕事がしたい人が仕事を見つけられるような環境を保つことであると私は考えます。生産性を高めるために国家と国民の生活を不安定にするのは本末転倒であると、そう愚考します。