よくビジネス書とか自己啓発本で
「成功者は〇〇をしている!」
「成功したければこうしろ!」
みたいなことが書いてありますよね。成功者はどんな考え方だーとか成功者の生活習慣はこんな感じだーとかが代表的です。しかしそれとは反対に、
「人と同じことをしていては成功できない!」
「成功したいなら人と違うことをしろ!」
みたいなことも見かけるわけですよ。これはどう解釈すればいいんでしょうね。真似をすべきなのか、すべきではないのか。それが問題です。
守破離
若手には守破離を理解して、まずは形を覚えるように常々指導しています。基本を守り、ルールを守り、先人のやり方を理解し、書籍から学ぶことを優先すべきで、オリジナリティや個性を発揮するのはそれ以降だということです。
守破離は芸道における修練の過程を示したものです。元々は千利休が茶道について「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」としたためたものからきています。案外知られていないようでそこそこに知られている、認知度がよく分からない言葉の一つかと思います。
守破離を大雑把にまとめると、教わった型を愚直に「守る」ことから始め、修練を積み自らのやり方に合った方法に辿り着くことで型を「破り」、いずれは基本の型から「離れて」自由自在になることができるというものです。一般的な常識に沿わない人のことを「型破り」な人と言いますが、そのような人もまずは型を守って基本に忠実な時期があったわけです。この手順を踏まず基本の型を学ばない人は型破りではなく「形無し」となってしまいます。
元々は芸道における言葉でしたが、私の勤める技術職にも大いに流用することができる考え方です。何せ設計や技術というのは膨大な先人の積み重ねによるものです。それらを学ばずに独創的で安全なものを産み出すことは到底できません。過去にも記事に書いたのですが、技術屋に必要なのは"成功する方法"を学ぶことではなく、”失敗しない方法”を学ぶことです。こうすれば成功するというのは再現性が低く確実ではありませんが、これをやったら失敗するというのはまず間違いなく再現します。それこそを学び、避けなければいけません。まずは「守」が大切なのです。
技術職を例に出しましたが、守破離は多くの物事に応用できる考え方だと思います。それぞれの物事における基本の型というのは時間という最大の試練に耐えて磨かれてきた選りすぐりのより良いやり方なのです。個人がパッと思い付いた適当なアイデアよりもよっぽど優れていますので、それを真似て学び取ることは何はともあれとても有益です。もちろんそれをまるで自分の独創によるオリジナルだと主張するようなことはすべきではありませんけどね、謙虚に学ばなければいけません。
人と同じことをすべき?違うことをすべき?
守破離の観点からすれば冒頭の疑問は次のように解釈することができます。
まずは「守」、基本の型・成功者のやり方の真似をすべきです。応用学習に至る前の基礎学習として地力を高めるためには優れた先人の方法を模倣するのが最短距離です。
これは道を歩くようなものです。基本の型というのは整備された道のようなもので、その道を歩くことで効率よく先に進むことができます。己の勘と才覚を頼りに薮をかき分けて獣道へ突き進んでいくのも生き方の一つとしてアリですが、相当な幸運に恵まれない限りは遠くへ辿り着くことはできないでしょう。下手をすれば向かうべき正しい方向すら分からないままになってしまいます。まずは先人に倣って整備された道を進み、歩き方や休憩のタイミングを学ぶのが最良です。
とはいえ王道の道を進んでいっても辿り着けるのは先人や共に歩む人々と同じ処までです。そこで必要になるのがここまで培ってきた地力を生かして型を「破り」人とは違うことをすることです。型を破って初めて人よりも遠く先に進むことができるようになります。
要は、人と同じことをすべきか違うことをすべきかというのは二択の選択問題ではなく、順序の問題ということです。
余談
基本の型を学ぶ、成功者のやり方を真似るというのは簡単なように見えてなかなか難しいものです。ただただ表面だけを真似ていては相関と因果を間違えることが多々あります。
相関と因果の有名な例としては「朝ごはんを食べている子どもの方が成績が良い」という統計です。その結果から「朝ごはんを食べれば成績が上がる」という誤解が一時期流行りました。実際は朝ごはんを出したり早寝早起きをさせたりと生活習慣をしっかり躾けている親が居る家庭だと成績が上がるという話でした。朝ごはんを食べれば成績が上がるというのは相関関係ではありますが因果関係には無いのです。
スティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ていたからそれを真似て毎日同じ服を着ればビジネスに成功する、というわけではないのは誰でも分かると思います。真似るべきは余計なワーキングメモリを使わずにやるべきことに注力すべきだという本質です。千利休が言うように「本を忘るな」ということが重要なのであり、本義・本質を学ばなければいけません。