忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

労働生産性を上げるためには、高く売ればいいんじゃない、かな・・・?

 もっとみんなで合理的かつ効率的に頑張れば生産性は高まる

 労働生産性の話となるとそんな物語が各所で語られていますが、どうしてそんな精神論や根性論を前面に押し出す人が多いのだろうと常々疑問に思っています。私とは違って経済に詳しい方々の提言ですのできっと深い意味があるとは思うのですが、そんな気合や根性でなんとかなる単純なものなのだろうか、そんな気持ちです。

 

 経済は専門分野外の話なので、ざっくばらんに語っていきます。

 

[アウトプット]÷[インプット]

 労働生産性は測定内容によって変数が変わるものの基本的には[アウトプット]÷[インプット]ですので、国家であれば総付加価値(GDP)÷労働者数(もしくは時間)、企業であれば粗利÷労働者数(もしくは時間)といった風に計算されます。

 このような数式からして、労働者が同じ時間でより多くの付加価値を生産できるようになれば労働生産性が高まるのは道理です。100の力で100を生産していたところを効率化と合理化によって120生産できるようになれば労働生産性は高まったと言えます。

 よって単位時間や一人当たりの付加価値生産量を高めるために労働者へ創意工夫や効率改善を求めることは何も間違いではないでしょう。実際、様々な部分で非合理的な物事はありますので、改善は労働環境の向上にも資するかと思います。

 

付加価値を決める要素

 ただ、経済学的な視点として労働者個人個人の生産性に着目するのは分かるのですが、じゃあ単純に労働者の努力だけで全ての説明が付くかと言えばそれは違うと思っています。アウトプットは必ずしも労働者の努力だけに依存しているわけではないためです。

 シンプルな理屈として、100で売っていたものの価格が120になった場合でも労働生産性は高まります。それこそ例えば何らかの要因で天然ガスの市場価格が高騰した場合、天然ガスを売っている企業は粗利が伸びて労働生産性が高まります。労働者の働き方が変わっていなくともです。

 もちろん市場価格の高騰自体は様々な理由によって生じますので必ずしも労働者の働き方に変化がないわけではありませんが、労働者が生み出す付加価値には市場性があることについても留意が必要ではないかと素人考えで思っています。

 

 つまるところ、「とにかく安く売ろう」「安さは正義」といったデフレメンタルを捨てて、「なるべく高く売ろう」「できる限り利益を増やそう」として実際に価格を上げていけば、理屈的には労働生産性が高まるかと思います。

 そもそも日本は未だに外需依存度が低く、昔から内需を主にして食っている国です。そして日本の市場は飽和しており、どれだけ労働者が頑張って生産量を増やしたとしてもこれ以上売り込む商品を増やすことは難しいかと思われます。

 であれば、労働生産性を高めるには労働者の献身にただ頼り切るのではなく、売価と給料を上げてインフレを目指すことを並行した方が合理的ではないでしょうか。

 

結言

 もちろんイノベーションを起こして新しい魅力的な商品を作ることも必要ですし、外需にもっと売り込めるよう努力することも必要ですし、労働効率を高めることも必要ではあるのですが、そういった労働者の気合や根性一辺倒では限度があるのではないかなと。

 

 以上、根拠は特に無いふわふわした話でした。

 

 

余談

 高く売れる商品に商売を切り替えたり総付加価値の生産主体を変えたりと国家の産業構造を変革することも一つの手かと思います。それは個人の力ではどうにもならない政治的な話ではありますが。

 都会と田舎では同じ仕事をしていても給料が違うように、金融と農業が同じ時間だけ汗を流して働いても利益が違うように、付加価値の産出量や個人の年収などは個々人の能力とは比例せず、地域性と産業の種別に強く依存します。付加価値は労働量によって決まるのではなく、労働に対してどれだけの財布があるかで決まるためです。

 

 一人当たり労働生産性が世界一位のアイルランドでは、低い法人税によって集めた外国企業が総付加価値の50%以上を稼ぎ出しています

 日本が真似できるかどうかは別として、労働生産性の高め方にはそういうやり方もあるのだという一例にはなるでしょう。