忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

責任を追及する側の責任

 

 これと、

 

これの、

 

複合的な話。

 

説明責任の範囲

 accountability(説明責任・答責性)は健全な社会集団の持続にとって必要不可欠な要素です。個人や組織は自らの行動や決定に対して関係者に説明する義務を持っています。

 この義務が順守されなければ個人や組織はそれこそやりたい放題になってしまうため、行政に限らず医療・金融・不動産などなど様々な分野における法律で契約相手への説明責任が義務付けられています。

 

 もちろんこの義務は無制限のものではありません。

 説明責任は法律や契約上の義務であり、道義的責任のような曖昧なものに基づく説明責任は本来強要されるべきではないものです。世間を騒がせた人はその騒ぎで迷惑を掛けた法律上・契約上の関係者に対して経緯等を説明する義務を持ちますが、メディアや世間に対する義務は持ちません。

 非常に嫌味な言い方ですが、「道義的責任」を持ち出して無関係の人々にまで説明の責任を果たすよう求める人は、「自分が気に入らない」「自分の倫理観に沿わない」ことを理由に他者へ強要するため世間を盾にしているだけだと言えます。

 

責任を追及する側の責任

 説明責任自体は必要不可欠ですが、その濫用は戒められるべきでもあります。

 責任とは双務的な性質を持つものであり、責任を追及する側の責任についても適切に言及されねばなりません。それが無ければ責任を追及する側は相手側の人権を無制限に蹂躙することが可能になってしまいます。

 ストレートな事例として、無理筋であっても対象を批判するようなメディアや、無理やり自白を迫るような警察官企業へ無茶苦茶なクレームを入れる顧客などの責任が追及されずに野放しとなる社会は、あまり健全とは言えません。

 

 説明責任は「責任」の言葉が持つ負の印象が付与されてしまっていますが、本来的に説明責任とは攻撃を目的としたものではなく双方が契約を遵守することを確認して信頼を築くための対話です。

 よって説明責任を求める側に対話の意思と責任意識が無ければ機能しません。

 説明を求める側には正当性のある質問をする責任や説明を傾聴する責任、そしてその結果に対する対応の責任があり、公正に問い、真摯に聞き、責任ある対応を取ること、問う側がそれらを示して初めて妥当な説明責任の遵守が為されます。

 

結言

 もっと率直に言ってしまえば、相手に責任ある行動を求めるならば自身が無責任であってはならない、それだけの話です。責任とは基本的に法律や契約上の義務であり、そして社会契約を勝手に片務契約にしてはなりません。