最近、ネットの炎上騒動の一つで「絵にも人権はある」「絵には人権はない」としたバトルが繰り広げられているのを見ました。
まあイラストを描いた著作者の人格権や著作権はありますがイラストそのものには人権はない、とするのが妥当な解釈だとは思います。
ただ、よくよく考えてみると「じゃあ動物には権利があるのか(アニマルライツ)」とか、「なぜ動物と比べて植物の権利はあまり主張されないのか」などなど、権利の幅については思索してみる余地がありそうです。
そんなわけで、ちょっと話を敷衍して権利について思索してみたいと思います。
ちなみに法学は専門外ですので、あくまで素人の考えです。「役に立つブログ記事」ではなく「素人の思考整理記事」だとご留意ください。
権利はどのように存在するか
権利(rights)は辞書的には「ある物事を自分の意志によって自由に行ったり、他人に要求したりすることのできる資格・能力」「一定の利益を自分のために主張し、また、これを享受することができる法律上の能力」とされています。
ただ、権利がどうして存在するか、もっと言えば権利の本質とは何かは、法哲学的に色々と対立や解釈があってシンプルにまとめることは難しいです。功利主義的な「法を保護する利益が権利の本質」と考えることもできるでしょうし、「法が人々の意思を実現する力を与えることが権利の本質」や、そしてそこから派生して「他者に対する支配が権利の本質」と考える人もあります。もっとシンプルに「手続き論な資格が権利の本質」だと純粋に捉える人もいます。
そもそも権利の発生自体が一通りではありません。生命や自由などの人権は自然法的な視点で「人は生まれながらにして権利を持つ」とされますし、契約や債権は実定法的な視点で「国家や社会が制定した法によって権利が構成される」とされます。
権利の種類
私のような素人は『権利と義務』の関係性を単純に援用して「権利とは義務を果たすことによって付与される」などと考えてしまいがちですが、実際には義務や責任の生じない権利も多々あります。
そのため、今回はウェスリー・ホーフェルドの提唱した権利が持つ概念を用いてみましょう。
■請求(Claim):他者に一定の行為を要求できる力
■自由(Liverty):他者の干渉なく行為できる状態
■権能(Power):法的地位を変更する力
■免除(Immunity):他者から義務を課されない保護
この概念を使えば、私のような素人でも「なぜ人間には権利が、動物にも一定の権利があり、植物やイラストには権利がないのか」を考えることが容易になるかと思います。
当然ながら人間はこれら4つの概念を全て活用できる存在です。契約に基づいた履行の強制や差別禁止などの請求、表現や移動を干渉されず行う自由、契約の締結や遺言など法的な地位を変更する権能、基本的人権に基づいた他者からの干渉の免除など、それぞれの概念に基づいた権利が明確に付与されています。
人間以外の権利
人間と人間以外との大きな差は「請求」です。
動物は一定の請求をすることが可能な主体であることからアニマルライツが一定の枠組みで認められており、植物はその請求ができないことから基本的に権利を認められていません。イラストも同様に、イラストそれ自体は権利を請求できないことから権利を認められず、ただし人格権や著作権は著作者が請求可能であることから間接的に認められます。
そして権利の請求が無いことから、その他の要素もおおむね認められていません。
ただしこれは実定法的な視点ですので、自然法的にはいずれ権利を得られる可能性もゼロではないでしょう。皆が植物やイラストにも権利があると考えるようになれば、当人たちからの請求がなくとも権利は存在できるかと思います。
その権利が守られるよう法が追従するかはまた別の問題ですし、少なくとも現在の社会ではまだ難しいとは思いますが。
結言
権利について素人考えをしてみました。
少なくとも義務と権利は必ずしも連動するものではなく、しかし無制限に権利が認められることもなく構成要素が存在することなどを学べたので、個人的に楽しかったです。