なぜか不定期に資本主義を擁護するような記事を書いている私から見た、資本主義に対する視点をまとめてみましょう。
仕組みの自然発生
資本主義は誰かが設計図を描いて作った仕組みではありません。封建制度の崩壊と都市の発展、貨幣制度の浸透と私的所有の確立など、人々の営利的な選択の積み重ねによって徐々に形を成したものです。誰かが意図したわけでもなく広がっていった自然発生的な制度であり、だからこそ強靭でしぶとく、そして合理的だと言えます。
資本主義に限らず、自然発生的に生まれた制度が長く続くのはそれが環境に適応していて無数の人間の選択と行動に支えられているためです。資本主義も同様に欲望や所有といった人間の根源的な性質に自然と合致しており、それゆえに広く受け入れられて定着しました。
逆に言えば、自然発生的な仕組みの合理性はそれを否定することの困難さを同時に示しています。
安易な否定や代替案は自然な仕組みと比較して非合理的で不自然で、仕組みとして歪んだものになりがちです。人間の本性に逆らった仕組みは理念としては立派で美しくとも、実際においては脆弱となります。
自然な仕組みの獣性
しかしながら、自然発生的であることは同時に動物的であるとも言えます。
資本主義は利潤の追求や競争、淘汰や独占など制度化された欲望が暴走することもあり、極めて強い獣性が宿っていると言っても過言ではないでしょう。理性や倫理によって制御されていない資本主義は弱肉強食の構造による格差の拡大などといった問題を引き起こし、人間を人間たらしめる善性を損ねます。
この獣性を忌避して捨て去るべきかもしれません。
しかしそれは前述したように歪な結果を招きます。本能的な欲望を否定する仕組みは非合理で不自然です。
とはいえ獣性を無批判に受け入れるには人間の理性と善性はあまりに発展し過ぎています。
よって資本主義という獣に「首輪」を付けて、飼い慣らして共生することが今のところは現実的です。強制でもなく、矯正でもなく、共生が必要になります。
それは例えば倫理的な制御装置、法制度による制約、社会保障の充実による保護、環境規制、市民への教育、そういった対策が妥当であり、実際に現代の世界はそのような修正資本主義の方向へ進んでいます。
結言
もちろん資本主義よりも良い仕組みが今後登場する可能性はあります。
ただ、残念ながら現代の私たちが人工的に考案した仕組みの中には恐らくなさそうです。人間が動物であることを拒絶した人工的な仕組みはどうしても人々に馴染みません。反資本主義として考案された共産主義が東西冷戦の末に敗北したように、非動物的な仕組みは不自然であり人間の手には負えなくなります。
新たな仕組みは美しい理念だけでなく、身体と心、そして人々の習慣に根差している必要があります。誰かが強制するものではなく、人々が”自然と”そちらに流れていくようでなければなりません。無理に従わせようとすれば反発が生じるものであり、それを押し通そうとすれば社会は分断してにっちもさっちもいかなくなります。
つまりは行動経済学で言うところのナッジを活用し、それをすることが自然でありながら倫理的でもある、そんな仕組みが必要ですし、いつか登場することを私は期待しています。
ちなみに、私がこの手の話でよく例とするのは"肉食"です。
「環境に悪いから肉食を止めろ」と人々に働きかけても、反発を招いてなかなか狙い通りに物事は進みません。率直に言って、肉は美味しいからです。美味なものを食べたいと思う人間の欲求を強制的に抑え込むことには限度があります。
そうやって強制しようとするのではなく、肉よりも美味しくて、手頃な価格で、環境負荷の少ない食品を作ること、そうすれば人々は自然と肉食を止めることでしょう。そうやって自発的に行動させるよう技術や仕組みを設計することこそが重要です。
資本主義も同様に、それを止めるためには資本主義よりもっと自然で合理的で人々が流れやすい、しかし倫理的な仕組みを作る必要があると考えます。