近現代において人類社会を二分してきた二大思想は「自由/資本主義」と「全体/社会主義」と言えます。個々人の自由意志を尊重した社会か、コミュニティの健全性を尊重した社会かの違いを持って、経済制度や政治体制をどうすべきかは東西冷戦が終わった今なお形を変えて議論されています。
細かい定義や分類をしていくとややこしくなるため、この記事では簡略化させてもらい、前者を「自由主義」後者を「社会主義」と記載します。
愛の対象と構造
これらの思想は伊達に世界を二分しているわけではなく、どちらも人間への愛があります。
自由主義は「個人の自由と尊厳」を最も重視しています。市場の自由や職業選択の自由、それら自由に伴う自己責任の原則、これらは全て、個人が自律的に生きることへの信頼と愛に基づいていると言えるでしょう。
一方、社会主義は「共同体の安定と平等」を重視しています。共同体内での生活保障や計画的な資源分配、個ではなく連帯での相互扶助の原則、これらは全て誰もが安心して生きられることへの配慮と愛に根ざしています。
少し単純化し過ぎではありますが、私はこれを「父性的」「母性的」であると考えます。
自由主義の愛は父性的です。子どもを外の世界へ送り出すことを前提に、挑戦を促し、失敗を許容し、選択の自由を尊重して個人の可能性を信じる、自律した人格を育む愛です。
社会主義の愛は母性的です。子どもを共同体で包み込むことを前提に、関係性を重視し、弱き者を守り、必要を満たすことに集中して共に生きることを支える、安心と安全を与える愛です。
これらは正誤で峻別するものではなく、どちらも必要な愛の形だと言えます。
制度的バランス
父性的な自由主義が行き過ぎれば、社会的な分断や経済的格差が生まれます。
母性的な社会主義が行き過ぎれば、過剰な同調圧力や思想統制が生じます。
よって実際には相互で補完し合うべき思想であり、実際に現代国家の多くはこれらのハイブリッドです。
例えば経済構造は二層化されており、基盤ではセーフティネットを構築して最低限の衣食住・医療・教育を保障する母性的な仕組みを持ちつつも、表層では追加的な財やサービスを市場で個人が選択できるようになっている父性的な仕組みが存在します。
今を生きる私たちにとっては当たり前のことのようですが、近代以前の経済ではセーフティネットもサービスの選択肢も無かったことを考えれば、これらは近現代で発展した立派な経済の仕組みです。
市場それ自体においても自由市場に限らず社会的経済や連帯経済がNGOや一般人の手によって成立していますし、重要な物資においては自由市場に任せきりにせず国家が管理を行っています。これもまた二層的だと言えるでしょう。
自由主義と社会主義、この二大潮流はさもするとゼロイチで反対側を絶対的に拒絶する人もいがちですが、実際には片側へ振り切ると大変に危ういものですし、現実にそれぞれの良い所取りをして組み合わせた形で運用されています。
結言
「自由」を良しとすることを父性的、「管理」を良しとすることを母性的と捉えると、それぞれの目的意識の違いが意外と捉えやすくなるのではないでしょうか。これらはどちらかが非人間的で無情なわけではなく、それぞれで愛情の示し方が異なるだけです。
そして私たち人間は父性的な愛と母性的な愛の両方を必要としています。
そのため、双方を上手く取り入れた制度設計を志向することこそが人間への本当の愛ではないかと考えます。