忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

日本がもつ熟議的方法の強み

 

 物事にはメリットとデメリットがある。

 

過激なアクションが引き起こす事態への道義的責任

 ここ何年も各所の著名人が散々警鐘を述べてきたイデオロギー的論争の帰結に関して、ジョセフ・ヒースのサブスタックがかなり上手くまとまっていたのでおススメします。昨今の国際的な政治動向に興味を持っている方であれば一読の価値がありそうです。

 ジョセフ・ヒースのこの記事は、アメリカのトランプ政権や欧州の右派躍進はバックラッシュでありリベラル派や進歩主義者の急進的なやり方に対する反発だがその道徳的責任はどこにどの程度あるのか、そういったことへの論考です。

 僭越ながら当ブログでも度々述べてきたように、対立勢力を殲滅することが道義的に許されない現代社会においてドラスティックで過激なやり方は必ず反発を引き起こします。よって物事の変革を成し遂げるのであれば中道的視点に基づいた穏健さと妥協が不可欠です。ジョセフ・ヒースも同様に、バックラッシュを引き起こす側にも道義的責任が存在することを示唆することで、過激なやり方を諫めています。

 

頭が良い側の責任

 この手の論考に対する反論で時々見かけるのが、「リベラル・進歩主義ばかりが批判されている、同様のことは保守主義にも言えるのではないか」です。

 それはまったくその通りで、それこそ現在のアメリカにおける保守主義者のドラスティックな変革はいずれ大きなバックラッシュを引き起こすことでしょう。彼ら自体がバックラッシュだとしても同じドラスティックなやり方をしていい理由はありませんし、同じやり方である以上同じ結果を引き起こすことは必然です。その道徳的責任は保守主義者にもあります。

 ただ、保守主義は経験的なものであり、進歩主義は啓蒙的な学びによるものです。率直に言ってしまえば保守主義は勉強する必要がないのに対して進歩主義は勉強しなければ身に付きません。統計的にも保守主義は非大卒、進歩主義は大卒以上の比率が高まります。

 その点からして、より配慮する必要があるのは進歩主義の側です。より頭の良いほうが相手に合わせなければならないのは世の常であり、知者には知者の義務と道徳的責任が生じます。進歩主義者はお利口さんなのだからお利口さんのムーブをしなければならず、それが出来ないとしたらその人はお利口さんではありません。

 よってこの手の意見を無自覚なリベラル叩きと見るのは誤認で、そもそもこの手の見解を述べているのは大抵リベラル派の人です。リベラルがリベラル足るために必要な責務への言及であり、これを受け入れてこそリベラルの道徳的価値を維持することができるのだと認識する必要があるでしょう。

 

日本的なやり方の利点

 社会が左右に分かれて分断している欧米社会と比べて、日本社会はまだそこまで破綻していません。

 それには様々な理由があるでしょうが、そのうちの一つがジョセフ・ヒースの記事にもあるように穏健なやり方、すなわち話し合いが根付いていることにあるのでしょう。

 1400年も前の十七条憲法に話し合いがとても大切だと述べている項目が17個中3個もある程度に、とにかく熟議を重視する文化を日本は持っています。

 熟議は関係者の意思統一と政治的妥協をもたらして皆が紐帯を保ち一丸となって物事へ挑む形式を整えることができます。

 

 たしかに欧米社会的な意志決定スピードによるメリットは価値のあるものです。対して話し合いのプロセスは時にやたらと長く無駄な会議を引き起こしたり、なかなか意思決定が行われず変革に時間が掛かったりするデメリットを持ちます。 

 しかし同程度に熟議的方法による遅さにもメリットがあることも理解する必要があると私は思います。早ければ必ずしもいいわけではないことは昨今の欧米社会を見れば一目瞭然でしょう。早さにはそれ相応のデメリットも付き纏います。

 

結言

 そもそもビジネスの場において関係各位の合意を得る行為は一般的です。ドラスティックなやり方は邪道であり、顧客の都合へ配慮したり経営者を説得したりスポンサーに説明したりすることは当たり前に行われています。

 本来は政治でも同様のプロセスが必要です。対立相手を打ちのめすのではなく交渉と説得を駆使して双方の政治的妥協を引き摺り出して合意を得てから変革を行う必要があります。

 その手間暇を厭い強引に物事を進めようとした結果が現在の欧米社会であって、日本はそういった悪い部分を真似しなくてもよく、むしろ日本的なやり方には弱みだけでなく強みもあることは理解しておいたほうが良さそうです。少なくとも昨今の欧米リベラル穏健派が是とする方法論や価値観を日本社会は持っています。