忘れん坊の外部記憶域

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サイレントチェンジの恐怖

 サイレントチェンジは製造業で用いられている言葉の一つです。

 本日はサイレントチェンジの概要と恐怖について、実際に製造業で働く技術屋の目線から語っていきたいと思います。

 

(前の記事)

 

工業製品における品質の考え方

 職人が手作業で作るモノは一つ一つ特色や個性が異なります。その差異こそが一点物の面白みと言えるでしょう。

 対して製造業で量産されている工業製品は真逆で、いつどこで買っても同じ特性を持つことが望まれています。買う度に形状が違ったり重さが違ったり耐久性が違ったりすれば使用するユーザーも困ってしまうわけで、生産されたモノの品質がばらつきなく常に保たれていることは工業製品に求められる機能の一つです。

 

 どうすれば所定の品質を保つことができるか、その方法は主に二つあります。

 一つは出荷前に全数検査をすることです。

 ただそれにはどうしてもコストが掛かりますし、そもそも完全な検査は不可能です。

 例えば個別の官能的特性や耐久性・耐腐食性など経年での特性が問題ないことを検査することはできません。全ての機械製品を壊れるまで検査していては売るものが無くなってしまいますし、飲食物の味を確認するために全部1口食べてから売るなんてことはできません。誰だってコンビニのパンに検査員の歯型が残っていたら嫌じゃないですか。

 よって製造業では検査と組み合わせてもう一つの方法を取ります。

 それは所定の品質を保つため、何も変えないということです。

 

 工業製品におけるモノづくりの鉄則としてコピーイグザクトリー(CopyExactly)という概念があります。これは日本語にすると「完全な複製」という意味です。

 同じ材料を使い、同じ機械を使い、同じ作業者が同じやり方で同じモノづくりをすれば同じモノ、すなわち「完全な複製」が出来上がる。要求仕様を満たせる製品を作れる工程が完成したら、そこから何も変化してしまわないようにちゃんと手を入れて整備していれば、同じものを作り続けることができる蓋然性が高まる。

 よって何も変えないし変えるべきではない、これがコピーイグザクトリーという考え方です。

 もちろん「完全な複製」というのは理想論的な理屈上の話です。同じ材料なんて物理的に有り得ないですし、機械は日々調子を変えるものですし、同じ作業者が同じように作業を続けられるわけでもありません。

 ただ、少なくとも違うことをしたり変化を加えたりするよりは同じように同じことをしたほうが同じ結果をもたらすだろうという考えは現実的な発想だと言えるでしょう。

 

 製造業では「不良品は変化点から生じる」と言われているくらいです。量産品においては変化こそが恐れるものであり、絶対に避けたいものです。

 よって現時点と同じものを納品し続けるよう、図面や仕様書によってバイヤー(買い手)とサプライヤー(売り手)は変化をさせないことを契約しています。また、どちらかが変化を行う場合は事前交渉や契約の更改を必要とします。

 

サイレントチェンジの恐怖

 サイレントチェンジとはSilent Change、つまり読んで字の如く「無音の変化」です。

 前述したように量産品は変化を嫌いますが、しかし変化は否応なく訪れます。それはコストダウンのための設計変更や性能が向上した新製品への変更といった前向きなものから、部品が手に入らなくなってしまったり価格高騰による避けようがない材質変更のように後ろ向きなものなど様々な理由によります。

 製造業で何かしらを変化させる場合は必ずその結果に対する評価を行います。形状や重さ、特性や価格、耐久性や耐候性など、変化点によって品質に影響が生じるかどうかを徹底的に調査し、問題ないと保証できる場合のみ変更するのです。

 部品を供給するサプライヤーは変更による自社製品の品質変化を評価してから変更を申請しますし、製品を組み立てるバイヤーも同様にその変化が自社製品にどのような影響を与えるか評価をしてから受諾します。

 

 サイレントチェンジはこの基本プロセス、問題ないことを評価して契約を更改するという必須プロセス無しに、サプライヤーが自社の都合だけで勝手に変更をしてしまうことを指します

 まずこれは明確に契約違反であり、道義的にも法的にも問題です。

 しかしそれよりも怖いのはコピーイグザクトリーが担保できなくなることです。評価プロセスを経ての品質保証ができていないことから、量産している製品が本当に問題ない品質を確保できているのかがまったく分からなくなります。それを避けるための変化点管理・事前申請・事前評価の仕組みですが、そこをサイレントに変えられてしまうと捉えようがないのです。

 つまり、サイレントチェンジが発生した場合、未評価の製品が市場に流通することになります。それはいつ市場で不具合が大量に発生するか分からない時限爆弾を量産しているような事態であり、場合によっては時限爆弾があちこちで爆発するまでサイレントチェンジに気付けないこともあるくらいです。

 

 工業製品は大量生産という制約上、リコールによって大規模な製品回収が発生すればバイヤーも大きな負担を支払うことになりますし、サプライヤーは経営が著しく悪化して場合によっては倒産します。サイレントチェンジはそれに関わる企業全ての存続やそこで働く従業員の生活を脅かす忌むべき行為に他なりません。

 

なぜサイレントチェンジが発生するか

 サイレントチェンジが発生するのは主に2種類の原因があります。一つはバイヤー側の不手際、もう一つはサプライヤー側の契約違反です。

 順に説明していきます。

 

 サイレントチェンジという言葉がメジャーになったのは電子機器の難燃剤の材質変更が契機です。

 電子機器は電気を使う都合上、火災に至らないよう難燃剤で保護しています。この難燃剤の材質が勝手に変わっていたことによって絶縁が保てず、市場で火災事故が多発してしまったことが過去にありました。

 これは勝手に変えたサプライヤーの問題でもありますが、バイヤー側の不手際も原因の一つです。

 元々日本企業同士で部品調達をしていた際は契約書である図面に詳細を書かなくても阿吽の呼吸でやり取りができていました。図面に「難燃剤を使用」と書いてあれば、それは絶縁性能の高い臭素系難燃剤を使用することだと双方が暗黙の了解で理解していたためです。

 しかしグローバル化によって部品を海外から調達することが徐々に一般的になっていった結果、図面を見た現地企業は「難燃剤であればいいんだよな?じゃあ安い材質に変更しよう」と途中から赤リン系難燃剤に変えたために絶縁劣化が発生し火災事故に至りました。

 これは厳密には契約違反ではなく、現地企業は図面通りのものを納品していますので、やはりバイヤー側の不手際としか言えません。

 海外調達が盛んになって以降この手の問題が散々発生したため、現在はこのような事態に陥らないようバイヤー側は発注仕様をかなり厳密に指定するようになりましたので、この手のサイレントチェンジは今ではほとんど発生しなくなりました。

 

 もう一つはサプライヤーの契約違反です。

 品質評価や契約の更改には時間と人件費、すなわちコストが掛かること、そしてコピーイグザクトリーの原則がある以上バイヤー側は基本的に変更を認めません。やむを得ない事情があるか、もしくはバイヤー側にも利得があることでなければまず変更は通らないと言っていいでしょう。

 よって少しでも安い材料に変えたり安く作れる方法に変えて原価を下げて利益を高めたいサプライヤーにとって、コストが掛かる変更プロセスを無視して勝手に変更してしまうことにはインセンティブが生じます。なにせバレなければ安くできた分だけ丸儲けです。

 しかしこれは当然ながら明確な契約違反であり、道義的にも法的にもアウト以外の何物でもありません。

 昨今発生するサイレントチェンジはこちらの形態が多いですが、この手のサイレントチェンジを防ぐことは極めて難しいものです。ズルいこと、悪いことをすれば利益を得られるという構造がある以上、まともにコンプライアンスを守れないような悪徳企業は市場から積極的に退場していただくような世論が醸成されていくしか解決方法はないかもしれません。

 その点で言えば綺麗ごとや錦の御旗のように語られているCSR(企業の社会的責任)やESG(環境・社会・統治)という言葉が人口に膾炙するのも悪いことではなさそうです。真面目に管理をしている真っ当な企業はちゃんと評価される必要があります。

 

結言

 サイレントチェンジは関係者を路頭に迷わせるリスクのある極めて危険な行為です。ダメ、ゼッタイ、です。