愚痴ではありますが、それっぽく真面目風な話を装ってみます。
愚痴を消さずに残すならば、せめて意味のありそうな内容を添えてみましょう。
男の動かし方
山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」は実に名言だと思っています。
別に男女で分ける意味はさほど無いとはいえ、特に男という生き物は「言わなくても分かる」「言わなくても伝わる」といった察する文化に弱いところが傾向的にあり、思い通りに動かすためにはひと手間が不可欠です。
その点、「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」は非常に網羅的で素晴らしい言葉だと言えます。
「やってみせ」は抽象よりも具体を見せることで行動モデルを構築しやすくしてくれます。
「言って聞かせて」は指示や理屈が明示的であることで納得しやすくなります。
「させてみせ」は座学での理論を実践によって体へ染み付かせることで理解を促進してくれます。
「ほめてやらねば」は承認欲求や自己効力感を高めるのに効果的で持続的な行動に繋がります。
その後の「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」も同様に察しの悪い男という生き物を動かすのならばこうあるべきだと断定できるような内容が遺漏なく盛り込まれており、なんとも素晴らしい名言でしょう。
私も人に何かを教える時にはこの言葉に従っています。水商売の「さしすせそ」ではないですが、肯定や誉め言葉は毎度教える度に探します。
ちょうど先日もちょっとした装置の動かし方を若手に教える機会があったので、まずは自分で動かして見せて、その後に装置の原理や理屈を説明して、実際にやらせてみて、上手いじゃないかと褒めました。
私がこの教え方をされたら、とても嬉しいですし、理解が進みますし、凄くやる気になります。なんともチョロいものです。
反りが合わない理由
で、去年に部署異動してからあまり上司と反りが合わないなと思っていて、それがかなりのストレス要因になっているのですが、山本五十六のおかげで最近言語化できました。
今の上司は、やってみせてくれないし、言って聞かせてくれないし、褒めてくれないんです。
ガキじゃねえんだから甘えてんじゃねえ、とは自分自身でも思うのですが、新しい仕事でやり方が分からなかったり、指示や理屈が曖昧だったり、何をしても一切褒められないのはそこそこにストレスを感じます。
異動して一年半ちょっと経ちますが、一度も褒められてないです。同僚や他の上司は「この企画はいいな」とか「これは凄い」とか「頑張れよ」とか、何かしら褒めるところや応援の言葉を頑張って探してくれるのですが、直属の上司からはまったくないです。勇気付けや協力があるわけでもないのでアドラー的なやり方なわけでもありません。
もちろん単純にコミュニケーションのズレそれ自体がストレスなのでしょうが、もう少し深掘りすると「マネジメントスタイルの考え方が違うこと」にストレスを感じているような気がします。
(私だったらこうするのに、何故そうやらないんだろう)とした、要するに我儘です。
私は山本五十六スタイルがベストだと思っていますが、他の人はそうとは限らないだけの話であって、本質的には私が勝手な拘りへ固執しているに過ぎません。
理屈的にはそういうことで、わざわざストレスを感じる必要はないでしょう、とまで悟れるかどうかが今の課題です。私はまだ煩悩を滅尽する境地には至っていません。
結言
ただ愚痴るよりも、真面目っぽい話をくっつけてみたほうが面白いかと思ってやってみました。
まあ、人生と言う名の修行は誰にとってもなかなかに大変なものです。
余談
ちなみに、人間関係とか関係なくアホほどストレス要因となっていた「期間が短いのに納期は厳密でハイクオリティを求められる企画案件」で、忙しさにかまけてクオリティを上げる余裕がなく一人奔走しつつもスケジュールがギリギリ達成不可能になっていて、初めて胃に穴が空くのではと思い悩んでいましたが、先日無事、上層部から「お前ならできると思っていたが仕方がない、延期をしよう」と時間の猶予を貰えましたので、直近のストレス状態は改善傾向にあります。
ご期待に添えず申し訳ありませんといった顔をしましたが、内心はとてもホッとしていました。ホント、限界だったので。
「もっとやれるはずだ、だから時間を与える」的なニュアンスの延期なのでまた後で死にかける未来が見えはしますが、それは将来の私が対処してくれることでしょう。とにかく目先の平穏を喜びます。