忘れん坊の外部記憶域

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職場いじめに関する一例と愚見

 

 いじめに関する学びの続き。

 

 いじめの形態は極めて多種多様であり、銀の弾丸は存在しません。

 よって全体像を語るのは専門家の書籍に任せることとして、今回は事例研究的に一例をもって述べていきます。

 

職場いじめ

 大人のいじめとして典型的なものが『職場いじめ』です。職場いじめ(Workplace bullying)としてWikipediaで長文のページがある程度には一般的に存在しています。

職場いじめ - Wikipedia

Workplace bullying - Wikipedia

(英語ページの文章量がえぐい)

 

 このタイプのいじめは組織や社会に存在する規範の範囲内で行われる複雑で狡猾なものが多いため、典型的な子どものいじめよりも解消が困難だとされています。

 そんな大人の職場いじめの一例から思索を進めていきましょう。

 

職場いじめの一例

 ある職場のある部署。

 そこではある男性が部署を構成する人々の一部から否定的な扱いを受けている。

 上司からの叱責は日常的で、上司や同僚からの教育もあまり施されない。同僚からは仲間として扱われず日々嘲笑されており、時には面と向かってからかわれている。仕事の多くは雑用的な業務ばかりであまり高度なタスクは割り振られない。

 

 ある職場のある部署。

 そこでは部署を構成する人々の一部が状況に疲弊している。

 ある男性が仕事をこなせないため上司に毎日叱責されており、雑音に集中力を削がれる。いくら教育に時間を割いても翌日には悪びれることもなく全て忘れてしまうため教育をする気力も失せた。部署としては一人の人員として数えられているため彼の分の業務は他者が肩代わりしている。彼の嘘やトラブルの尻ぬぐいに日々翻弄されているため、フォローのための過剰な労働時間や謝罪行脚にストレスを感じている。

 

 あまり解像度が高い話をするとフィクションではなくなるので、この程度としましょう。職場いじめの一形態としては比較的ありがちなパターンではあります。

 

思考の考察

 これは解決がとても難しい問題です。第三者的な視点から見ていると双方の気持ちが分からなくもないため、共感では解決ができない問題だと言えます。

 

 ある男性の視点からすれば、これは明確にいじめです。日常的な叱責や他者からの嘲笑、業務上での冷遇や抵抗できない力関係など全てがいじめの符号に適合します。

 

 ある男性の周囲の視点からすれば、彼らは仕事をこなせない同僚から迷惑を被っていると感じており、その同僚への被害者感情を基として彼への否定的な攻撃が正当化されている状態です。類型化することは難しいものの、攻撃の動機や正当化の根拠は「被害者意識による報復感情」「能力差別」「ストレスによるモラル低下」「ストレス発散のための代償行動」「集団心理と同調圧力」あたりが育んでいると思われます。

 

 辛辣な話ではありますが、事実関係だけを見ればいじめの加害側は同僚からの迷惑の被害者でもあります。

 そして少なくともいじめの加害側である人々は「根っからのいじめっ子」、すなわち他者の苦痛に悦楽を見出す類の人々ではなく、そうではない人々であってもいじめをしている現実があり、だからこそいじめの解消は難しくあります。

 

 とはいえ、両者の視点に立つと双方に理があるように思えますが、実際はそうでもありません。私たちが前提とすべき社会の規範として、被害者であれば加害者を攻撃していい理屈はないためです

 そのような直接の私的報復は私たちの暮らす現代社会では許容されない行為です。たとえ他者から迷惑を被っていたとしても、その他者をいじめることへの正当化は誤った認知バイアスだと言えます。

 よってこのようないじめは正当化足り得るものでもなければ許容されるものでもなく、解消されなければならないでしょう。

 

解消の考察

 今回のような例を解消するにはどうすればいいか。

 まず手っ取り早いのはいじめの被害側を異動や転勤によって集団から分離することですが、これはいじめのエスカレーション以外の何物でもないでしょう。もちろん緊急避難として実施したり本人の同意があれば別ではありますが、意にそぐわない配置転換は理想的とは言えません。

 かといって加害側全員を隔離することも現実的には難しいものです。少なくとも加害側がその部署を回している以上、倫理的には不適切でも組織の論理としては隔離ができるものではありません。胃の調子が悪いからといって胃を取っ払ってしまえばいいわけではないように、必要なのは排除ではなく治療です。

 啓蒙は短期的には弱いものの長期的には効果があります。どのような実情があろうともいじめが許容されるわけではないことを理解させることは必要です。ただしこれは人が変わった場合に効果を持続することが難しく、また啓蒙する立場である上司が加害側にいた場合は機能しないでしょう。

 

 結局、短期的な方策としては集団の規則としていじめに対する罰則を設けること、並行して長期的な効果を狙った啓蒙活動を続けること、緊急事態であれば同意のうえで分離を行うこと、職務と能力のマッチングだけでなく人と人のマッチングをもっと意識した流動的な組織デザインを行うこと、そういったことの積み重ねしかないのかもしれません。

 

結言

 今回の例の場合、この手の集団心理に基づくいじめは当人たちの中では認知バイアスによる正当化が行われており、グループ内での自浄が期待できない点が最大の問題です。解消には組織のより上位層による強制力が必要不可欠であり、そしてそれは多くのいじめの類型でも同じことが言えます。

 

 あとはまあ、度々述べてきたことではありますが、たとえ他者に落ち度があろうとも暴力(いじめ)を振るっていい理由にはなりません。この認識の周知が進むことを期待します。