忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

共感のスポットライト性に関する注意

 当ブログで度々取り上げてきた共感について、及び腰ながら再度言及していきます。

 

 実のところ、共感を論考のテーマとして記事を作成することはとても難しいです。なにせ共感は絶対善で否定されるべきでないものだとする不文律の社会通念があり、僅かでも共感に否定的な言説を取ろうものならば情や心の無い人非人であるかのような扱いを受けかねない、ある種の聖域に近いものとなっているためです。

 

 しかしながら、共感を絶対善の公理として扱うことは必ずしも適切ではありません。共感には極めて素晴らしい側面があるのと同時に、常にそれが有効に働くわけではなく、時に極めて不公平な意思決定をもたらします。

 ただし、その事実は決して共感の価値を毀損するものではありません

 すなわち共感とは正しく活用すれば有用であるものの一つであり、しかし火や刃物、善意や親切心などと同様に取り扱い注意が存在するものである、そういった話をしていきます。

 

 前置きは以上にして、本題に入りましょう。

 

共感のスポットライト性

 他者の感情を理解する共感は道徳的行動を実行するためのトリガーの一つです。

 よって共感が善であると考えることは自然ですし、他者の苦しみを共感によって察して救いの手を差し伸べることは間違いなく善行です。

 

 ただ、共感にはいくつかの問題があり、その点に注意しなければ不適切な取り扱いをしてしまいかねません。

 その一つとして、共感には高いスポットライト性があります。

 残念ながら共感はとても狭い範囲でしか行うことができません。人は同時に複数の感情を共有することはできませんので、世界中の全ての人と同時に共感することはできないどころか個人の狭い認知の範囲でしか共感は機能しません。

 つまり、共感には絶対的な不公平があります。感情を理解できる対象に対して暖かい光を照らすそのスポットライトは、そう思えない対象を暗く影に押しやってしまいます。

 

 共感を語る際にあまり具体的な事例を出したくはないのですが、いくつか例示します。

 大きな災害があった時には必ず見かけられる言説であり令和6年能登半島地震でも観測されましたが、「災害時における不謹慎論」は共感のスポットライト性を説明するのに最適なものでしょう。

 不謹慎だと思う気持ちは被災者の過酷な境遇や心労に対する共感から生じます。その思いやりはもちろん否定すべきでないとても立派な感情です。

 ただ、その共感のスポットライトは被災者を明るく照らし出すと同時に、経済が停滞して生活が苦しくなる人々を影に押しやって不可視化してしまいます。それこそ石川県は観光に依存した地域が多くあり、不謹慎だからと観光業を止めては被災者の中でも生活が成り立たなくなる人が多数います。よって厳しいながらむやみやたらな不謹慎論はあまり道徳的な方向性だとは言えません。

 他にも今年のニュースを事例として、日本航空516便衝突炎上事故でペットの死に強く共感した人はあの事故で亡くなった海保隊員に思いを馳せることが難しくなるように、新幹線の遅延で涙を流す人に強く共感する人は復旧工事で重傷を負った人へは同時に共感することができないように、共感のスポットライトはとても選別的です。

 もっと極端な例を挙げるとすれば、何らかの犯罪において加害者へ共感する人は加害者の人権に対して適切な扱いを望みますし、被害者へ共感する人は被害者の救済を優先的に考慮します。それらはどちらが絶対的に正しいというわけでもなく、ただ同時に別感情を共感することが難しい共感の選別性が顕著に表れているに過ぎません。

 

 繰り返しとなりますが、共感できるものに対して救いの手を差し伸べることはとても立派な行いです。

 しかし、共感できるものだけに手を差し伸べるのはやはり公平ではない、そう言わざるを得ません。

 

結言

 一時期ネットスラングとして話題になっていた「かわいそうランキング」が代表となるように、共感のスポットライト性は度が過ぎると共感の有無によって他者を差別する行いが自然体となってしまいます。

 尊い道徳的行動を生み出すせっかくの共感を差別の種にしてしまうことは、とてもとてももったいないことです。

 

 共感が問題なのではなく、共感をどう取り扱うかが問題であること。

 この点について重々留意する必要があると私は考えます。

 

 

余談

 共感の課題としては他にもいくつかあります。

 

■共感は事実に基づかない

 共感は感情を察する行為であり、事実でない場合にも作用する。例えばニュース速報で報道された犯罪加害者への誹謗中傷などは共感から生じるものだが、それが冤罪被害を拡大する場合がある。

■共感は必ずしも善のみを拡大するわけではない

 イスラエルの事例を見れば分かるように、テロによって虐殺された同胞への共感がガザ地区での悲劇を引き起こしている。負の感情への共感は非常にドラスティックな行動へと繋がりかねない。

■いじめっ子は共感性が高い

 相手の嫌がることを察することができるからこそ的確なイジメができる。よって共感性があれば常に善であるかと言えばそうでもない。

 

 個人的には誤った共感の取り扱いによって傷つく人を減らしたいという気持ちがあり、それは理性的な考えというよりは人情に起因すると思っているのですが、ただ、共感の問題部分を語ると他者から情が無い人だと思われがちなため、なんとも語ることが難しいです。