忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

学校の先生の「先」には何があるのだろう

 とある記事を読んで考えたことを記録がてら。

 教育関係者ではない他業界の人間が考えた、ただの感想文と雑想です。

 

あまり同意していない記事を取り上げるのは気が引けるけども

 ある言論サイトで「離職率0.65%の公立学校は本当に“ブラック”なのか?」という記事を読みました。その記事を大まかに要約させていただくと、以下のような主張です。

  • ブラックと騒ぎ立てると応募者が減って質が下がってしまい、現場の改善から遠のいてしまう
  • ブラック企業の基準の一つに「離職率」があるが、公立学校の教員の離職率は決して高くない

 実のところ、記事内容にはあまり同意していません。

 まず前者の主張に対して、ブラックな現場があるとして、そこに優秀な人間を放り込めば改善できるかと言えば当然ながらそれは時と場合によります。

 例えば人間関係であれば多少は改善が可能かもしれません。しかし教職がブラックだと言われている一因には残業代が認められない法律上の制約や文科省・教育委員会・PTAといった組織構造的な不自由さにある以上、それを現場から改善させようとするのは無理難題と言わざるを得ないのではないでしょうか。

 この手の問題は世論や組合といった外圧で変える他なく、ただでさえ高負担に耐えかねている現場にさらなる負担を強いてはいけないのではないかと思うのです。現場の力だけでは変えられないからこそ、2021年にTwitterで行われた「#教師のバトン」プロジェクトは驚くほどの大炎上をしたわけですし。

 

 また「離職率」は確かにブラック企業を判定する指標の一つであることには間違いありませんが、それは指標の一つに過ぎません。離職率が低くてもブラックな企業は山ほどあります。他業種のことを引き合いに出すのは申し訳ないですが、例えば金融業は離職率が低いものの結構な度合いでブラックなところが残っているかと思います。

 そもそも離職率で比較できるのは「同業」であることが前提条件だと考えます。営業職の離職率と農家の離職率を比較してもあまり意味が無いでしょう。離職しやすい業種とそうでない業種がある以上、離職率は同業内でのブラック度合いを比較する要素の一つに過ぎないと考えます。

 どうにも、データから結論を導いたというよりは主張のためにデータを持ってきたような印象を受けてしまう記事でした。

 

先生は潰しがきかないだけでは?

 そもそもこの記事を読んで真っ先に思ったことは、「学校の先生って離職しにくいんだな、それは大変そうだ」という感想です。

 製造業に身を置いている人間からすると、学校の先生が離職後にどこへ行くのかさっぱりイメージが沸きません。

 私のような技術職は概ね何処に行っても技術を売って飯を食えます。物理なり化学なりITなり、どのようなエンジニアでも市場には需要がありますし、同業でも他業でもそこそこ選択肢はあると言えるでしょう。

 営業職や販売員だって同等、いやそれ以上に離職は容易です。売るものが変わるだけで、身に付けたノウハウを生かす道は各所にあります。

 学校の先生というのは、正直なところ、どこに転職できるんでしょう?

 

 ちょっと「教師 転職」で検索をかけてみましたが、おススメの転職先は以下のような感じでした。

  • 塾や予備校の講師
  • 家庭教師
  • 児童支援員、学童指導員
  • 教育関係の民間企業
  • 大学講師
  • 非常勤講師

 ・・・教育から逃げられないような印象しか受けませんね。

 このような傾向を見る限り、学校がブラックではないから先生の離職率が低いのではなく、学校の先生は潰しがきかないから離職できないのではないかと考えます。

 

 実際、民間や他の公務員におけるキャリアパスは意外と豊富です。その組織内で静かに過ごすも良し、出世して上を目指すも良し、同業なり他業なりに転職するも良し、独立開業するも良し、比較的自由度の高い職種が多いです。

 それに対して先生の「先」に何があるかと言えば、ほとんどの人は「前線で働くプロフェッショナル」か「校長を目指すジェネラリスト」ルートしか存在しないように思えます。

 一部は学校を離れて名物講師になったりテレビに出たり本を出したりする細く狭いキャリアパスも存在しますが、それは極めて特例であり、少なくとも教育関係から離れるというのは難しいのではないでしょうか。

 

結言

 「離職率」とブラック度合いは因果関係にはなく、狭い条件で使える関係性に過ぎないでしょう。むしろ学校は「離職率」が低いからこそ閉鎖的なブラック環境が醸成される典型例だとすら考えます。

 そういったブラックな職場を根本的に変えるには人員の流動性を高めることが有効ではあります。先生が離職しやすく、同時に他所から就職しやすい環境になれば現在の閉鎖性を打破して風通しの良い環境を構築しやすくなるかもしれません。

 しかし教育は資格を要する専門性の高い師業であり、人材の流動性を高めることもまた困難です。

 どうにもなんとも、他業種の素人からすると、先生という仕事は「先」が見えない、実に大変な仕事だと感じてしまいます。

 

 

余談

 先生の潰しがきかない、教育関係者は教育から離れがたい、それはもうスキル構成上仕方がないことかもしれませんので、そうであればその中で称揚される仕組みを構築して外部に向けて発信し、コミュニティをオープンにすることで人員の流入率を高めることが良いのではないか、と素人的な考えをしています。

 働いている人たちの姿が見えて、それが誉めそやされている、頑張れば評価される、報われる、そういったことを仕組みとして形作ることは一定程度有効だと思う次第で。

 海外の例を無批判に持ってくればいいわけではないことは重々承知していますが、例えばアメリカではNational Teacher of the Year(全米最優秀教師賞)という、優れた先生を毎年表彰するプログラムがあります。そこそこ大掛かりにやっているようで、日本にいる私ですら聞いたことがありますし、受賞者の本も読んだことがあります。

 対して日本でも同様の仕組みに「文部科学大臣優秀教職員表彰」がありますが、これは調べるまで聞いたこともなかったです。人材を集めたいのであればこういった仕組みをもっとオープンにして、「スーパー先生」というキャリアパスを増やしてみるのはどうかと、そう愚考します。