忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

会社は学校ではないが、親や学校を代替しなければならない時代

 時代によって変わるもの。

 

「お勉強ができる」ことを求める

 技術屋の世界では新人に大きな設計案件をいきなり任せるような事例は少なく、まずは基礎的な勉強や評価試験のやり方から教育を行います。

 もちろん新人からすればひたすら勉強や評価試験をすることは面白いことではありません。もっと生産的で面白い仕事をしたいと思うのは自然なことです。

 ただ、これは比較的合理的な手順ではあります。超能力者ではない私たちは新人の実力を一目で把握することは到底できませんので、大きな責任の生じる設計をいきなり任せることはできかねます。その下準備として簡単な仕事をこなす能力を見定めることで、現時点でできることとこれから身に付ける必要がある知見を明確にしていくことは意味がある行為です。

 

 また、基礎的な勉強や評価試験は新人の適性を見るのにとても役立ちます。内容はそこまで難しくないとしても、その吸収力には相当な個人差が見られるためです。

 基礎的な部分を学んだ後に自ら学習を積み重ねて応用できる人もいれば、教わった範囲以外には興味を示さない人もいます。

 ただ評価試験をやっているだけで原理原則と照らし合わせて構造的理解を進めることができる人もいれば、漫然と言われたことだけをやる人もいます。

 大仰に言えば「一を聞いて十を知る」ことができるかどうかであり、その差を生み出す「自ら学ぶ姿勢」を持っているかどうかが技術屋にとってはとても重要です。私たち技術屋は知識を提供することでおぜぜを頂戴する仕事であり、知識の質と量が商売道具です。

 一を聞いて十を知る人は千や万に至るほど無数の知識をストックしており、それら知見と一を結び付けて再構成することで十を知ることができます。膨大な知見を学ぶ姿勢、ストックできる能力、分析・再構築する能力が「一を聞いて十を知る」として外に現れているに過ぎません。

 よって厳しい話ですが「一を聞いて十を知る」人、すなわち「自ら学ぶ姿勢」を示すことができない人には技術屋はあまり適性が無い職業です。過去にも記事にしたことがあるように私たち技術屋は若手に”お勉強ができること”を求めています。

 そのため私たち技術者は若手が最初から「業務に必要な知識を事前に持っている」ことなんて一ミリも期待していません。持っていたらラッキー程度のもので、そんなものは就職してから覚えてもらえばいいと思っています。若手のエンジニアに求めているのは技術(知識)を勉強する技能(能力)を持っていることです。簡単に言えば「お勉強できること」を求めています。

これは学校の勉強が出来るという俗的な意味ではありません

 先に述べたように仕事で使う技術(知識)というのは学校では学び切れませんし、技能(能力)はなおさらです。専門外に就職する人も多いですし、専門外の技術部署に配属される若者も多数居ます。だからこそ、知識を身に着ける術を持っていることが期待されているのです。

 

少子高齢化の時代にはどうすべきか

 とはいえ選別的な扱いは現代では難しいものです。昔であれば若手の適性を把握して合わないようであれば別の仕事をさせればいいだけでしたが、それは若者の数が多く取捨選別する余裕がある場合に限定されます。現代のように少子化が進み若者の人数が減少していく時代で取捨選別していては手元に若者が残りません。今でもこれができるのは相当な大企業に限られますし、下手にやり過ぎればブラック企業として企業イメージを損ねる結果にもなりかねません。

 

 よって多くの企業は世界中の親や学校と同じ目線に立つ必要があります。

 つまり、「どうやれば自主的に勉強できるようになるか」を会社からも配慮して働きかけなければなりません。

 使える奴を選んで残す、そんな時代はもはや終わりました。現代は使えるようになるまで教育することが必須です。会社は学校ではありませんが、それで押し切れるほど甘い時代ではないということです。

 そしてさらに厳しい話ですが、教育方法に王道はありません。三つ子の魂百までというように成人した人間の姿勢を教育することは極めて難しいものであり、学校教育を代表とした鋳型のような教育手段は存在しません。企業は若者の個性に合わせて適切な教育を施す必要があります。

 

結言

 以上より、教育コストが高まりつつある現代において企業が真っ先にコストを掛けるべきは教育をする側、管理職やメンターです。教育をする側の意識改革と教育スキル向上こそが急務であり、システムを確立する必要があります。旧態依然としたやり方は通用しなくなっており、企業内教育システムを現代に合わせて一新しなければ若者を定着させることはできません。

 とはいえ「お勉強」にまったく適性がない人を無理やり教育することもまた虐待的であり双方に不幸な事態ですので、それは避けられるような入れ替えの仕組みも必要でしょう。

 まあ、つまりは大変な時代です。

 

 

余談

 その点で言えば、世間的には否定的に扱われがちな日本式経営のメンバーシップ雇用はジョブローテーションがしやすくアンマッチの不幸を減らす効果がありますので、そこは良い側面かと思います。