忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

常に痛みがない人生はあり得ないが、痛みはないに越したことははない

 大仰なタイトルですが、中身は違います。パッケージに偽り有りです。

 

雑談を始めるための雑談

 口内炎的な炎症が生じていたため、休日はボケーっと過ごしていました。こういう時に生き物は五感に頼って生きているのだと実感できます。感覚器のどこかしらに異常が生じているとどうにも思考も活動も鈍りがちなものです。

 目は悪いし歯もそこまで良くはなく耳は人並みで鼻は鈍感、唯一鋭敏なのは触覚くらいな人間ですので触覚と聴覚を軸に日々を過ごしていますが、普段そこまで優先度を上げていない感覚器でもトラブルが生じているとそちらに意識を持っていかれてしまうので、困ったものです。

 

 痛みを完全に避けることはどのような人生においても不可能であり、痛みは回避のみではなく緩和を考慮するものではありますが、そんな長い目で見た話はさておき目先の痛みはやはり避けるに越したことはないでしょう。

 そんなわけで、痛みの緩和、現実逃避として雑談をしていきます。

 

触覚はマインドフルネスに役立つ?

 ちなみに触覚頼りの人間はマインドフルネスに有利だと勝手に思っています。

 我流のマインドフルネスしかやっていない私が語るようなことは特に無いのですが、ともかくマインドフルネスにおける瞑想のやり方はまず呼吸に意識を置くことが世間では言われています。そうすることで自らの意識を外界から切り離して内的な部分にだけ注視できるようにすることが目的です。

 その点、触覚を日常的に意識している人は自らの呼吸や歩行などあらゆる行動によって生じる肌感覚の変化をそもそも日常的に検出していますので、場を整えて瞑想をしようとするまでもなく日常的に自らの内面的な変化と外界を切り離すことに長けています。

 もちろん人によるでしょうけど、例えば私が歩く時には踏み出し方によって変わる足の裏の感覚を意識することは日常的ですし、腕の動かし方や指の形、腰の曲げ方や膝の高さなども意識しながら歩いています。余裕があればその際の呼吸によって胸やお腹がどう変化するかも気にします。相当別のことに没頭していない限りは無意識で歩くことはせず、今この瞬間の肉体を常に意識しています。むしろ何も考えていない時は視点を動かした時の目の筋肉の動きなんかを意識していますので、むしろ何も考えていないほうがマシまであります。

 

 これは私が単純に元演劇部員なせいかもしれません。腹式呼吸や舞台演技の練習によって肉体の微小変化を意識する機会が多かっただけなのかもです。

 

頭が働かない時に買い物をしてはいけない

 さて、脳が働いていないのですがちょっと買い物をしようと思ってAmazonを眺めていたのが運の尽き。

 Kindleでの書籍購入以外は年に数回程度しかネット購入をしない不慣れな人間ですので、通販の見方や感覚が未だによく分かっていません。

 「ああそういえば下着を買いに行こうと思っていたんだった。これもAmazonで買ってみるか」と思い立ち適当にポチったところ、2枚セットだと思ったら5セット計10枚届きました。商品欄にはちゃんと明記されていたので私の見落としです。ボケーっとしている時に買い物なんてするものではありません。

 いや、まあ、別にあっても困らないからいいんですけども、いっそ古い下着は一新するレベルです。それはそれで気分が良さそうですので、前向きに捉えていきましょう。

 

 そんな、どうでもいい雑談です。