手癖で社会的な記事を書きそうになったので、ちょっと下書きに保存しておきましょう。連休中は基本マッタリ適当な記事でお茶を濁すようにしたいと思っています。
そんなわけで、最近のニュースに関して思う所を少しばかり開陳してみましょう。
ゴシップはどうでもいい
近頃の国際ニュースはもう右を向いても左を向いてもアメリカのゴシップばかりで少し辟易します。
重要なニュースな発言であればまだしも、ただただアメリカ大統領やその周囲の言動を垂れ流すように報道しているだけで、その情報に価値があるのか疑問です。ただゴシップ的な情報で注目を集めてページビューを狙っているだけに見えます。もっと世界には報道すべき重要な事柄があるでしょうに。
厭味な言い方をしますが、どうでもいいゴシップでわざわざ敵意や憎悪をクリエイトしているようにすら思えます。例の大統領や側近が放言をすることは一期目の頃から分かっていたことであり、それをわざわざ選択的に繰り返し報道する行為は主要なメディア自身が悪意のフィルターバブルとなりかねません。
以前にもこのブログで取り上げたことのあるジャーナリストの倫理規定に関して、もう一度ちゃんと考えるべき時期な気がします。
ジャーナリストは自分の価値観や経験が報道にどのように影響を与えるかを考慮すべきであること。
たとえ他者がそうであっても、下品な好奇心に迎合しないこと。
あまり言いたくはないですし擁護するようなつもりもないのですが、アメリカ大統領の放言についての報道は正直に言ってどうでもいいレベルのことばかりです。人々の好奇心を大いに刺激するものではありますが、少なくともニュースバリューがあるものはほぼありません。
そのようにバリューの無いニュースを報道することは、きつい言い方をすれば「頭の悪い権力者を見て留飲を下げたい人々」の好奇心にただ迎合しているだけであり、報道することが与える影響を適切に考慮しているものとは思えません。
もちろん商売である以上人々の耳目を集めるニュースを報道したいと思うのは報道機関の本能的なものです。
しかしジャーナリズムは政治権力者と同様に”権力”であり、高い倫理観を持つ必要があります。倫理観の無い権力者を嘲笑するためにジャーナリズムの倫理観を捨て去っては同じ穴の狢となりかねません。
せめて、ただ言動を「発表報道」するのではなく、その結果や意図を分析した「調査報道」を行って欲しいと期待しています。
結言
私的に、データや数字による解説や、想定される反論の設定やそれに対する論証などが入っていない、手癖でマッタリ書いているマッタリ記事のつもりで書きました。
書き終えて思うに、そもそもテーマが固いような気もします。
テーマがマッタリなのか、中身がマッタリなのか、意外と難しい問題です。私は難しいテーマを軽く書いたり、軽いテーマを重苦しく書くこともありますので。