忘れん坊の外部記憶域

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デマ情報を検閲することには否定的

 誤った情報が声高に叫ばれて拡散されると、デマ情報の削除や発信源の凍結、すなわち検閲を求める他方の声も大きくなります。

 ここで言う検閲とは狭義の公権力によるものではなく広義のCensorshipとしての検閲です。

 

 その気持ちは分かります。

 私もSNSなどでデマ情報を見かけると眉をひそめますし、そういった情報が世間に拡散されることを良しとは思いません。

 また、人には「検閲を求める自由」があり、それが他者の「言論の自由」とどちらが優先されるべきかは状況と環境によりますので、検閲を求める声をあげて権利の調整を行うことは何も問題ない通常の活動です。

 

 ただ、個人的な見解ではありますが、私はデマ情報の削除や発信源の凍結には少し否定的です。特定の情報を不可視化することには賛同しかねます。それよりはXのコミュニティノートのようにデマ情報に対する訂正情報や対抗言論を参照しやすくする方向性のほうが好みです。

 その理由について述べていきます。

 

デマを誰がどう認定するのか

 まず第一に、デマを誰がどう認定するのかは存外に難しい問題です。もちろん満場一致で一目瞭然にデマだと認定できる情報もありますが、そうではないデマも無数にあります。

 ある情報をデマと認定するためにはいくつか方法が考えられます。

 たとえば多数決でデマか否かを決めることはできるでしょう。しかしそれは科学的な事実に基づかない結論に至る可能性があります。

 反対に専門知を基準として専門家による認定をすることもできるでしょう。しかしそれは権威主義的な無謬性の罠に陥る危険があります。専門家が絶対に間違えないことを担保するものはありません。

 科学による評定にも限度があります。科学的手法は絶対的な事実を確定する手法ではなく、科学は絶対ではないためです。それは様々な科学分野において専門家の意見が割れている事象があることからも分かるかと思います。反対意見も含んでの科学であり、反対意見が認められないものは科学(サイエンス)ではなく宗教的教義(ドグマ)です。よって科学を絶対視することは権威主義と同様に無謬性の罠に絡めとられてしまうことでしょう。

 

 つまりありとあらゆる情報をデマか否かと判別する知性を私たち人類はまだ保有しておらず、多数派によるポピュリズムも、専門家による独裁も、科学的権威に頼ることも何らかのリスクを含む以上、デマ情報の削除や発信源の凍結の前提となるデマの認定段階で躓くことになると考えます。

 

 なにより、デマ情報を拡散している人の一部は「それが真実である」と確信を持っています。よってその時点で誰もが納得するデマの認定はあり得ないことを留意しなければなりません。デマの認定と排除はほぼ必ず軋轢を生じることになります。

 

発信者が消えてなくなるわけではない

 認定の先にはまた次の問題があります。

 たとえデマ情報の削除や発信源の凍結によってその言論空間上からデマ情報を駆逐できたとしても、その発信者が消えて無くなるわけではありません

 それこそ大手SNSでそのような発信者の排除を行った場合、そういった発信者は発信を止めるのではなく、もっとアンダーグラウンドな言論空間に集って発信を継続することになります。

 閉じた空間で似た者同士が交流・共感し合うことで特定の意見や思想が増幅していくエコーチェンバー現象は近年頻繁に注意喚起がなされていますが、発信者の排除はそういったエコーチェンバーをむしろ生み出してしまう悪手に他なりません。排除による不可視化はまさしく「臭い物に蓋をする」行為であり、問題の解決には資さないことを留意する必要があります。

 

 なにより、そういった言論の不可視化、キャンセルカルチャーはカルトを生み出す温床になりかねません。それは残念ながら社会的に良い結果をもたらさないと考えます。

 キャンセルカルチャーの基本は「悪を認定し」「それをコミュニティから排除」することです。つまりコミュニティを広げるのではなく、コミュニティを削っていく方向性です。悪が除外されたコミュニティは純粋なものになるかもしれませんが、総体で見ればコミュニティは小さく先鋭化した状態となります。つまり、簡単に言えばカルト化します。というかカルト集団が誕生する経緯こそがまさにこのキャンセルカルチャーによるものです。

 先鋭化したカルト集団では、コミュニティ全体が正義であり悪は除外しきったと錯覚するようになります。それは同時に、彼らにとってはコミュニティ外が悪に変わることを意味します。前述したようにキャンセルカルチャーでは悪の反対が正義であると考えており、自らのコミュニティが正義であるならばそのコミュニティに賛同しない外部は悪であるというような論理構造を持っているからです。

 先鋭化して縮小したカルトコミュニティの外には膨大な一般人が作る通常の社会があり、カルト集団はその通常の社会を悪と認定して敵対するようになります。

 つまりカルト集団は必ず反社会的な特性を持つようになります。だからこそカルト集団は世界中で危険視されているのです。

 

結言

 以上より、私はデマ情報の削除や発信源の凍結には少し否定的です。それは長い目で見てリスクが高い行為だと考えます。

 それよりはデマ情報に対する対抗言論、訂正情報を参照しやすくするほうが効果的であり、必要なのはデマ情報の発信を潰すことではなくその拡散を阻止することだと考えています。

 例えば、過去にも記事にしましたが「あわてんぼうさん度合い」を図ってスコア化するなどが良いかと。

 

 

余談

 あるいは「デマ情報の発信者を逮捕して言論の自由を剥奪すればいい」とする意見があるかもしれませんが、個人的にはそんな人権侵害を安易に行使できる権力を与えるほど政治や警察を信頼していませんのであまり同意できませんし、それを私的制裁(リンチ)によって行うことにも反対です。