忘れん坊の外部記憶域

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デマ情報の対策として「あわてんぼうさん度合い」を採点するのはどうだろう?

 昨今、世界中でデマ情報への対策が検討されています。

 デマ情報はいつだってセンセーショナルで拡散されやすいものです。それに対してデマを訂正する正しい情報は平凡でつまらないことが多いためなかなか拡散しません。よって話題性の強いデマ情報だけが長いこと世界中を駆け巡ることになります。

 ではデマ情報の発信を完全に防ぎ正しい情報だけが発信されるように監視できるかと言えば、それは無理な話です。悪意をもって人を騙すためのデマ情報以外にも”誤報”は生じますし、ある種の情報には速報性が不可欠である以上、全ての情報を精査してから発信していては間に合わない場合もあります。

 理想論で言えば情報の受信者である個々人が知性と知恵をもって情報の真偽を見分ければいい話ですが、情報の精査をする時間がある人ばかりではありませんので、それを求めることも現実的ではないでしょう。

 

あわてんぼうさんスコア

 デマ情報は拡散しやすい。正しい情報を拡散するのは難しい。正しい情報だけを発信することも難しいし、個人が見定めるのも難しい。

 では、正しくない情報を発信・拡散した人を遡及的にスコアリングするのはどうでしょう?

 デマ情報は人々の知性によって”デマである”と認定されたものである以上、世の中には誤った情報を誤っていると判定する能力はあるはずです。そうであれば、そのような知者によって認定されたデマ情報を発信した人と拡散した人に対して「あわてんぼうさん度合い」を採点することで、それらの人々が発信する情報に対する疑義を持たせることができるかと思います。

 

撲滅よりも警戒を優先する

 ここで肝要なのは、デマ情報の発信者や拡散者を悪意や敵意をもって断罪しないことです。

 「この人は以前デマ情報を流したから今後も信用できない!」「この人はデマ情報を拡散する悪い人に違いない!」とまで突き進んでしまうことは望ましくありません。デマ情報は必ずしも悪意から生まれるわけでもなく、それを拡散している人は他者を想う善意であることすらあります。それを悪意だと認定して情報空間から排除しようとしてしまっては、善意を踏みにじられたと感じた人々は反対側の人々への敵意を覚えてしまい社会的な分断が進んでしまいます。

 また、デマ情報をうっかり拡散してしまった人があまりにも責められてしまうと、誰もが及び腰となって情報の拡散力自体が萎縮してしまい、正しい情報すら今よりも拡散されにくくなってしまいます。

 

 そこで「あわてんぼうさんスコア」です。

 デマと認定された情報を発信・拡散した人を「あわてんぼうさん」として、そのアカウントが”どの程度あわてんぼうさんか”を数値化することが有効かと思います。

 これは炎上や断罪のムーブメントではなく、「うっかり誤った情報を発信してしまったんだね、今後は気を付けようね」くらいの温度感を維持することが必要だと考えるためです。

 そのためにはあわてんぼうさんくらい緩い表現を用いることに意味があります。スコアが高い人は『デマ情報を発信・拡散する悪人』ではなく『うっかりさんなので発信されている情報を鵜呑みにするのではなく注意したほうがいい人』くらいの捉え方です。

 スコアリングは連続性を重視して、毎日のようにデマ情報を拡散する人は「相当なうっかりさん」、それ以外は「ちょっとしたうっかりさん」くらいで収まるようにすれば、情報の拡散に委縮せずとも済むでしょう。

 

 なにより、このくらいの温度感であれば逃げ道を作ることができます

 「お前は間違っている、悪だ!」と頭ごなしに断罪してしまっては相手も頑なになって自論に固執しかねません。そうなってしまっては依って立つ論拠のデマ情報や陰謀論へさらにのめり込んでいくことは必定です。それに対して「ああ、うっかり間違えた情報を流しちゃったよ、ごめんね、次は気を付けるよ」と自らのプライドを傷つけずに言い逃れる道さえあれば、人は誤りを認めやすくなるものです。

 

結言

 デマ情報は撲滅しようがない以上、発信源や拡散源を撲滅しようとする動きを取ることは効果が薄いです。実際に悪意をもってデマ情報を流している人は間違いなく存在していますが、しかし全てのデマに悪意を見出してしまうと下手をすれば魔女狩りのような社会を分断するムーブメントになりかねません。

 それよりはデマ情報の明確化と、正しい情報を今よりも拡散しやすくすること、そして情報がデマである可能性への人々の感度を高めることを目指すべきだと考えます。