XのようなSNSを見ていると時々思うのですが、情報の入手方法について幅を持たせること、すなわち情報リテラシー教育がもっと必要なのではないかと考えています。
というのも、今年の年始は災害や事故が連続したため特に多く見かけましたが、「なぜこうやっているんだ」「どうしてこうやらないんだ」「国は何をやってるんだ」と言ったような、どうにも情報の入手方法が分かっていないのではないかと思われるポストが散見されるためです。
離散と連続
情報には離散と連続の違いがあり、「データの間に無限のデータが存在するか」が離散と連続を分けます。
例えばサイコロを10回振ってどの数字が出るかは前後に連続性はなく、それぞれの試行で繋がりが無いため離散データです。対して髪の毛の伸びた長さや預金残高の変動など、ある時間においてどのようなデータがあるかを無限に測定することが可能なものは連続データです。
人には認知バイアスがあるため物事を因果関係にある連続データだと誤認しがちですが、大抵の物事は離散です。情報の前後には連続性がなく個別事象は別々に存在しています。たとえ法則性があるように見えても、それに連続性があるだけの理屈が無ければ連続データとして扱うことは誤認を生みます。
それこそ1, 2, 3, 4, □, 6, 7・・・と事象が続いたとしても、この□が5とは限りません。離散情報では間のデータを観測しなければ確定できないためです。しかし観測すればこの□を埋めることはできます。よって離散情報を扱う時は憶測や推測によって間のデータを埋めるのではなく必ず観測によって情報を入手する必要があります。
つまり、"自分が観測していない情報は存在しない"と考えるのは誤解です。大抵の場合は自分が知らないだけで、情報は存在しています。そしてその情報は大抵の場合で離散データのため、憶測や推測によって想像するのではなく、観測によって情報を入手しなければなりません。
マスメディア以外から情報を得ること
公的な組織、人々の血税で動いている公務員の動きなどは説明責任がありますので相当量が公開されています。
ただ、それは普通のことです。普通のことにはニュースバリューがないためマスメディアでは取り上げられません。しかし、取り上げられませんが情報は存在しています。
災害や事故でよく見かける「政府は何をやっているんだ」系の言説だって、何をやっているかはちゃんと首相官邸や内閣府のWebサイトで公開されています。
例として、年始に能登半島で起きた地震であれば内閣府の防災情報サイトで議事録まで公開されています。
令和6年能登半島地震による被害状況等について : 防災情報のページ - 内閣府
議事録を見れば、各省庁の責任者や大臣が年始早々から不休で矢継ぎ早に意思決定を行っている様が分かります。
初日の段階でも政府・警察庁・消防庁・海上保安庁が対策本部を設置して広域に情報を収集していますし、防衛省はファストフォースの派遣、国交省はリエゾンの派遣とインフラの調査、総務省は通信網の状況を確認して各事業者に通達を行い、厚労省はライフラインや医療機関について調査をし、農水省や経産省も被害状況の確認に動いています。議事録では二日目以降の動きも各省庁と大臣の動きと意思決定が明確に公開されています。
例として、よく見かけたポスト「自衛隊をなぜ1000人しか派遣しないのか」などはこの議事録を見ればすぐに理由が分かります。初動対処部隊(ファスト・フォース)がそもそも1000人であり真っ先に投入できる部隊が能登半島ではそれだけしかないこと、二日目の時点で2000人に増強されておりさらに10000人の自衛隊員がすでに待機済みであり投入が可能になれば投入予定であること、その指揮のために統合任務部隊(ジョイント・タスク・フォース)の編成まで二日目の時点で決定されていること、日に日に人員が増強されており6日の時点で5400人態勢になっていること、そういった情報が容易に確認できます。
初動が1000人であることは誤報や誤解ではありませんが、それには理由がありますし、それだけでもないわけです。
意見を発信する際の心構え
もちろん感想や意見の声を上げることは悪くはありませんが、まずはその前に情報を取りに行く姿勢があって然るべきだと考えています。
現代は情報量過多の情報社会であり、マスメディアが全ての情報を収集して発信できる時代ではありません。そして情報リテラシーは様々な意味を含む言葉ですが、その入り口は「効果的かつ能率的に情報を収集する」ことです。もちろんそれを活用する能力も情報リテラシーでは重要ですが、まずは情報を収集することができなければ始まりません。
よってマスメディアから受け取れる受動的な情報に限らず、能動的に各種機関の発信している情報を拾いに行くことが必要であり、それこそが情報リテラシーの基礎だと言えます。
ここで前述した離散と連続の違いが重要になります。
なにせ、この違いを認識していないと陰謀論に染まりかねないからです。
陰謀論の多くは入手できた情報を連続的に取り扱い、持っている情報をツギハギして情報の隙間を憶測や推測、すなわち陰謀で埋めることを基礎としています。
しかし実際には現実の出来事の多くは離散です。その隙間には意見の発信者当人が観測していないだけで別の情報が存在しています。
現実の情報を扱う場合は離散と連続の違いを理解し、憶測と推測によって隙間を埋めるのではなく、ただ情報を持っていないだけだとする謙虚な姿勢が必要です。
結言
厳しいことを言いますが、無知ゆえの批判は誰のためにもならないものです。適切に情報を取得し活用できる情報リテラシーを伴った批判こそ価値があり、そのためにも情報を能動的に獲得することは必要不可欠だと考えます。
余談
とはいえ、これもまた度が過ぎると「マスコミは嘘を付いている」「真実はこうだ」と言ったような怪しげな情報源に染まるリスクがあるので難しいところです。
やはり、何事もバランスが大切です。