ブログやSNSなどで情報発信をしていると誰しも大なり小なり気になるのがアクセス数だと思います。
どのような情報発信であろうと、少なくとも世間に向けて情報を発信する以上、それを受信してもらうことを望むのは自然なことです。
もちろんその多寡は情報を発信する目的によって異なる意味を持つことでしょう。
大勢の人に自身の見解を知らしめたい人からすればアクセス数は多いに越したことがありませんし、収益を目的としているのであればやはりアクセス数はいくらあっても困りません。
その逆に、分かる人には分かる隠れ家的運営を求める人からすればアクセス数は重要ではなく、そもそも情報発信そのものが主目的でアクセス数の多寡には無頓着な人もいます。
ただ、いずれにしても、自身が何を求めて情報を発信するかは早期に定める必要があるかと思います。明確な目的が存在しなければアクセス数に囚われてしまい余計な負担を感じるかもしれません。
恐らく各所で散々述べられてきたことだとは思いますが、アクセス数について自分なりに考えていることを言語化していきます。
先週の観測と分析
先週、珍しくアクセス数が増えていたのでちょっと流れを追っていました。
どうやらフォロワーの多いTwitterアカウントが意見を述べて、その反論としてうちのデータ分析系の記事が持ち出されていたようです。初日はGoogle検索でのアクセス数が増えて、次の日はSNSのリンクからの流入が主となっていました。
Google検索が先行して伸びたということは、あるデータに基づく意見に対して多くの人が情報を収集してそのデータが適正かどうかを照査してから反論する動きをしていることの証左でしょう。これはとても素晴らしい情報リテラシーだと思います。
ただ、大物野党議員のリプ欄にうちのリンクが貼られていたのはさすがに笑いました。そこはさすがに個人ブログの記事ではなく元データのリンクを貼ったほうがいいのではないかと。
さて、そんな観測をしながらアクセス数について考えていました。
この駄ブログはアクセス数によって収入があるわけでもなく、好き勝手思うままに記事を書くことを目的としています。
よってアクセス数はほどほどで充分です。内容に興味を持ってくれたり、一つの意見として関心を持っていただける人に読んでもらえればとても嬉しいですが、大きな声で世間様にモノ申すつもりはありません。隠れ家的ポジションが理想です。
アクセス数が大きく増えると否応なしに意味の無いノイズ、例えば記事を読まずに行われる批判や誤解・誤読による批難が生じることから、それは好き勝手思うままに書くことが目的である私にとっては望ましいものではありません。人の顔色を窺って記事を書いたり、ウケるネタを優先して自身の意に添わない記事を書いたり、意味の無い批判を避けるために委縮して記事を書けなくなるのは私の好みではないのです。
この目的部分、これを明確にせずに承認欲求ドリブンで情報発信をしてしまうと、承認欲求は急速に肥大化していきます。私はそれを望ましいことだとは思いません。
目的は明確に
先週の流れを見ていてのろくでもない学習として、インフルエンサーや有名人に絡めばアクセス数は間違いなく伸びます。なにせ人の目につく確率が跳ね上がるのですから。
ただ、ここで私がその学習を使い、宣伝用のTwitterアカウントを作成して普段まったくやっていないブログの宣伝活動やアクセス数稼ぎを始めたらどうなるか。
恐らく承認欲求は一時満たされることでしょう。
そして瞬時に目的がすり替わります。好き勝手思うままに記事を書いて楽しむことではなく、アクセス数を増やして承認欲求を満たすことに。
そうなってはきっと楽しくブログを続けられなくなるでしょうから、私はやりません。
これはアクセス数を目的としたブログ運営を否定しているものではありません。それが目的として明確であれば、素晴らしい行動力と積極性だと思っています。
今回注意喚起をしたいのは、収益のためのブログや隠れ家的ブログといった明確な目的も無しに、ただアクセス数を増やそうとする行動です。それは承認欲求の奴隷になりかねないことを充分に留意する必要があると考えます。
前述したように、アクセス数が大きく増えると否応なしに意味の無いノイズが生じます。よってどれだけアクセス数が増えたとしても全面的で包括的な承認が得られることはなく、承認欲求が完全には満たしきれません。
承認欲求を目的とした場合、それが満たされるかどうかはアクセス数ではなくアクセスの質に依存します。
結言
収益を目的としていれば、アクセスは数が重要であり質は無視できるようになるのでメンタルに負荷が掛かりにくくなります。
楽しさを目的としていれば、アクセスは質が重要であり数は無視できるようになるのでやはりメンタルに優しいものです。
承認欲求の充足を目的としてしまうと、本来は質が重要なのにアクセス数に囚われてしまい、一生満たされないものを追い続けることになります。それはメンタルに過剰な負荷が生じることでしょう。
アクセス数を気に掛けるのであれば、何はともあれ目的を明確にして悪循環に陥らないよう注意する必要があると私は考えます。