ニューヨークポストの記事での一般コメントが面白かったので紹介します。
【ドイツの環境活動家がモネの絵画にマッシュポテトを放り投げた】
提案があるんだ。絵を移動して、彼らを1、2週間貼り付けたままにしておこうぜ。そうすりゃきっとマッシュポテトですべき別のことを見つけられるだろうさ。
ニューヨークポストは変な記事や飛ばし記事も多いですけど、大手メディアと違ってコメント欄が解放されているのでヤフーニュースのようなカオス感があって面白いですよね、と穿った楽しみ方をする私。
ちなみにニューヨークポストは保守系のタブロイト紙のため気候変動に対する懐疑派が多いというバイアスはありますが、ざっと見た限りほとんどのコメントは今回の活動家の行動を批難していました。
というわけで昨今は環境活動家が食べ物やらペンキやらをぶちまけた後に接着剤を使って壁やら車やらに貼り付くのがブームなご時世です。スーパーで牛乳をぶちまけるような活動家もいましたね。ペンキならまだしも食べ物を粗末にする人はどうにも理解しかねます。
この手のお馬鹿さんの話をするのに真面目な口調で語るのも馬鹿馬鹿しい気がするので、うちのブログでは普段使っていないラフな言葉遣いで語るとしましょう。
それぞれの目的と成果
炎上系ユーチューバー等であれば一般人からの再生数やPVが直接的に収益へ繋がるわけだから、炎上行動の目的は同意も共感もしないが理解はできる。
しかし彼らのような過激な環境活動家の活動はそもそも大多数の一般大衆向けではない。もしかしたら一般大衆に向けているつもりなのかもしれないが、そうであればアピール方法があまりにも馬鹿過ぎるので恐らく違うだろうと優しく考えてあげることにしよう。
ハンロンの剃刀に従えば「無能で説明が付くことに悪意を見出すな」ではあるが、ただの無能だと断ずるのはあまりにも可哀そうじゃないか。
この手の過激な団体にはちゃんとスポンサーがいる。結局のところ彼らの活動は「ちゃんと活動してるからさ、継続して支援を頼むぜ」とスポンサーにアピールすることが目的の一つである。そのためにバズりを必要としている点が炎上系ユーチューバーとの違いだ。目立ってPVを集めるのではなく、目立つことそのものが目的となっている。
ちなみにゴッホの絵にトマトスープを投げた環境団体はアメリカの気候緊急基金や実業家、モネの絵にマッシュポテトを投げた環境団体はカリフォルニアの環境団体から資金援助を受けていると報告されている。
世界的なバズりを果たした点で言えば、彼らのスポンサーへのアピール活動は成功したと言えるだろう。
もっとストレートに表現すれば、これは組織のメンバーやスポンサー、またもしかしたら獲得できるかもしれない僅かな賛同者や新たなスポンサー候補といった一部の身内向けのパフォーマンスに過ぎない。身内全部ではないところがある種の特徴とも言える。なにせこんなことをやっても真っ当な環境活動家は喝采を上げないどころか批判側に回るのだから。
また実行犯の個人的な動機においても成功している。
実行犯の動機は単純明快、目立ちたいというだけだ。表層的には真摯な気持ちを持っているかもしれないが、本音としては目立ちたいだけに過ぎない。
そうでなければまさか政治的主張を口頭で行うなんてありえないだろう。プラカードなり立て看板なりを用意して文字情報で見える化し、映像で広く送り届けるのが抗議活動の常識で常道だ。さらに言えばわざわざ仲間が動画で撮影しているのだから、それを綺麗に編集してアピールするのが普通だ。
主張ではなく団体名が入っているシャツを着ていることからも、彼らは自身や団体の存在をアピールしたいだけで主張そのものを伝える気は無さそうだ。彼らのしぐさはアピール内容を見てもらいたいのではなく、アピールしていることを見てもらいたいだけに過ぎない。(車へ抗議活動をしたグループは一応横断幕を用意していた)
つまり、悪いことをして目立つことで先生や好きな子の興味を惹きたいという小学生のような承認欲求と同等だということだ。世界的な注目を集めたことで彼らの欲求は満たされたことだろう。
広告と広報の違い
しかし、政治活動・・・いや、暴力的な行為によって他者の行動変容を狙っているという点で堂々たるテロ活動と呼称できるが、彼らのテロ活動はとても勉強不足だ。
環境保護そのものに関してではない。恐らくだが環境保護に関しては彼らなりに勉強しているつもりだろう。まあ美術館の環境負荷を考えれば彼らの勉強はやっているつもり程度に過ぎない。本気でやるなら発電所なり製油所なりを狙うだろうし、実際にそうしている環境団体だってある。グリーンピースなんかEU各地の原発に侵入して逮捕された実績があり、10年前にはパラグライダーを使って空から原発に侵入したことだってあるのだから、美術館に歩いて入っていったなんてグリーンピースに比べればレベルが低い。まあ、別に同レベルでの迷惑活動をする必要は一切ないが。
そうではなく彼らが勉強不足なのはアピールの仕方、つまりはマーケティング戦略だ。彼らは資金提供の継続という団体の生存目標や承認欲求の充足という個人目標を達成できたのかもしれないが、勉強不足がゆえに肝心要のテロ活動の目的を達成できていない。
ああ、いや、まさか彼らが貧困に苦しむ人々をダシに”自分たちが飯を食うためだけに”ビジネスとしてテロ活動をしていて、環境が改善されては商売ができなくなって”おまんまの食い上げ”になる、むしろ主張は聞かないで欲しい、なんて、まさか思っているわけもないはずだ。そんなまさか。きっと彼らは彼らなりに真剣に熱心に活動しているのだろう。だからきっとテロ活動の目的である環境保護を本気で主張しているはずだ。そう信じてあげたい。
で、あれば、やはり彼らはマーケティング戦略を学ぶべきだろう。今回のようなやり方では話にならない。
まず何よりも、現代の情報社会で情報を発信したいのであれば見出し・ヘッドラインが重要だ。様々な情報が飛び交う中、多くの人々は興味を惹かれるヘッドラインでなければ情報にアクセスしない。というか、ほとんどの人は流れてきたヘッドラインしか読まない。
そんな常識レベルのことをちゃんと考慮していれば自分たちの主張がヘッドラインに乗るよう配慮した行動を取るものだ。
「美術品と人の命、どちらが大切か」環境団体が美術館で主張
というような見出しになるのが理想であって、
ドイツの環境活動家がモネの絵画にマッシュポテトを放り投げた
なんて頭の悪いヘッドラインで乗ってしまっては誰も主張を聞いてくれなくなってしまう。彼らは悲しいまでに戦略を誤っている。主張を超える行動はそれによって主張を覆い隠してしまうことに気付かなければならない。
そもそも彼らは広告と広報の違いをまったく理解していない。
彼らがやっているのは広告(advertisement)で、自分たちの主張を一方的に押し付ける20世紀型のマーケティング戦略だ。見たくもないのに見せつけられて誰も彼もが辟易している、あの広告だ。
21世紀のマーケティングはそんな古臭い戦略ではまったく相手にされない。現代は広報・PR(Public Relations)がマーケティングの初歩中の初歩である。一方的に主張を押し付けるのではなく人々が自発的に動くよう促すような物語を作成し、関係性を構築することを手段としなければならない。
別の言葉を使えばプッシュ型とプル型だ。プッシュ型の広告、「お前らはこうしなければいけない」という押し付けは現代社会には馴染まない。そんな話はもう皆飽き飽きしている。それよりもナラティブを用いたプル型の広報、「確かにそうだ、私たちもこうしよう」と動かすことが望ましい。
何よりも、テロ活動の目的は恐怖や暴力を振うことそれ自体ではなく、それによって人々の行動を変化させることである。つまり本質的にテロリストは広告ではなくPRを行わなければならない。絵画に食べ物をぶちまけているのを見て誰が「共感した!俺も一緒に食べ物をぶちまけよう!」と思うだろうか。実に馬鹿馬鹿しい広告であり、PRを欠片も理解していないことが分かる。
PRが出来ていないという点で、彼らは環境保護活動なんかしている場合ではない。そんな暇があるなら経営学部にでも入学し、マーケティングの基礎を学んだ方がいいだろう。
結言
皮肉を語る時は敬体より常体のほうが書きやすいですね。ただ常体だとどうしても丸みの無い尖った文章になりがちなのが悩みどころ。
ある種の環境団体がビジネスで活動をしているという事実はさておき、今回はなるべく優しい方向で解釈します。きっと義憤に駆られた真面目な人たちです、ええ。(目を逸らしながら)
さて、テロリストに同意や共感を示す必要はまったくありませんが、テロリストの行動原理や行動様式に理解をする努力は重要です。それこそがテロリズムに対する強い抵抗力となります。
彼らは理解不能な謎の生物ではなく、異なる論理で動く人間です。テロリストは暴力的行為によって人々の行動を変えようと目論んでおり、私たちはそれに踊らされてしまわないよう彼らの論理を理解することが必要です。
環境保護それ自体は重要ですし、そのための活動は立派なことです。
しかし、この手のラディカルで迷惑なお馬鹿さんが足を引っ張る現状は悩ましいものです。