忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

主張では「どうしたいか」だけでなく「どうすべきか」も必要

 先週の日曜日は引っ越す街を見極めるためにいくつかの駅を出てうろついたり不動産賃貸仲介業者に物件の紹介を受けたりなどをして過ごしました。

 ケータイの充電が切れそうだったので夕方頃に住処の駅に帰ってきたところ、いつものように政治団体が演説をしているところへ出くわしました。

 この駅では様々な政治団体が何らかの政治主張をしている光景をよく見かけます。今回は黒い街宣車に「憂国」と書いてあるコテコテの右翼団体です。

 マイクの調整が下手なのかあるいは弁舌家の滑舌が悪いのか何を語っているかはほとんど聞き取れなかったのですが、バス停へ向かう途中にビラ配りをしていたオジサンがビラを渡してきたので受け取って見ることにしました。

 

違う意見かどうかは聞かなければ分からない

 この手のビラをほぼ必ず受け取ってしまうのが、ある意味で私の弱点です。

 他者の意見を尊重するためにはまず意見を聞かなければならず、そのため恐らく同意できない意見が書かれているであろうビラであっても拒絶せずに受け取ってしまいます。

 これはなんというか、個人的な趣味と思想です。

 熱中して視野狭窄に陥り盲目になっている人の意見は多くの場合瑕疵と錯誤に満ちたあまり意味の無いものですが、だからと言ってそういった人の意見を視界から排除しようとしては私も同じ盲目になると考えています。

 そういった考えなので、賛同するかは別として他者の意見は聞こうと思っているため、ビラくらいは受け取って読むようにしていますし演説も聞き取れる時はどんな団体のものであろうと聞いています。

 

必要なのは外部を考慮すること

 ただ、まあ、ビラを読んでみたところ、予想通りあまり意味のある主張ではありませんでした。

 大まかな趣旨としては日本のシーレーンの重要性を訴える話です。

 日本は島国であり島国にとってシーレーンが重要であることは地政論の理屈を用いるまでもなく当然誰もが知っていることであり、趣旨自体は妥当です。

 

 気になったのは主張の内容です。

 要約すると次のような内容でした。

「中国は東シナ海で国際法を無視している。私たちは世界平和を実現するために国際法を守り法の支配を推し進める活動をしている」

 

 これでは駄目です。主張の視野角が狭く意味を成していません。

 物事を主張するのであれば、最低限次のような論理構造が必要です。

■現在どうなっているかの【現状】

■それが引き起こしている【問題】

■問題を解決するために現状をどう変える必要があるかの【対策】

 主張とは他者の行動変容を図ることが目的であり、つまり【問題】を無くすために【現状】を変える【対策】を明確にしなければ意味がありません。

 

 具体的に彼らの主張を分解してみましょう。

 まず【問題】と設定されているのは中国の覇権主義です。中国は東シナ海で人工島や軍事基地を作っていますので、この問題設定自体は特に無意味ではありません。

 しかしその問題への【対策】として国際法を守る活動を主張することには意味がありません。何故ならば日本は【現状】国際法をすでに守っているためです。

 彼らがこの問題を解決することを主張したいのであれば、日本が国際社会にどう働きかけるかといった現状変更手段を何かしら提案しなければ主張の体を成さないでしょう。国際法を守ることを訴えたって日本はすでに守っているのですから、せめて「中国に国際法を守らせるためにはこれこれこうする必要がある」といった内容が必要です。

 

外部を考慮しなければ目的は達せない

 なぜこのような主張の破綻が生じてしまうのか。

 それは単純に、彼らが内側の論理だけを用いているためです。

 

 彼らは自分たちの内輪の論理として「どうしたいか」を語っているに過ぎません。

 しかし国際政治に限らず私たちの世界は様々なプレイヤーがそれぞれの思惑で動いている盤の上であり、世界は我々だけが動かしているわけではない以上、必ず外側の論理を考慮することが必要です。

 つまり、内側の論理としての「自分たちがどうしたいか」だけでなく、その目的を果たすために外側の事情を考慮した「自分たちはどうすべきか」が並行して必要になります。

 彼らの意見に沿った主張を例示するならば、中国の覇権主義を抑えて日本のシーレーンを維持したいのであれば、国際法を守らない国家への制裁措置や周辺国家による圧力といった外部の都合に合わせた「すべきこと」を設定して主張する必要があります

 もちろん彼らの意見とは異なる方向性として、圧力に頼らない方法もあり得ます。議論すべきはそこであり、まず議論を成り立たせるためには主張を明確にしなければなりません。

 

(内側の論理に関する記事)

 

結言

 厳しい表現になりますが、「どうしたいか」だけで行動するのでは駄々をこねる子どもと同じです。「ああしたい」「こうなりたい」とした気持ちを持っているのは誰しも同じであり、主張をするのであれば各プレイヤーの思惑や意図を考慮した現実的で実現可能な「どうすべきか」を構築する必要があります。

 

 

余談1

 この手のはビジネス界隈でもよく見かける問題です。

 「来期の売上目標1兆円!やり方はお前らが考えろ!」と騒ぐような経営者が世の中にはいますが、これはまさしく「どうしたいか」だけしか持っておらずそのための具体的な「どうすべきか」を持っていない典型例です。

 

余談2

 これを投稿する直前の通勤中に、今度は左翼団体のビラを受け取りました。真逆で多様性があって面白いです。