先週はタイへ出張に行っていましたが、日本を出国する時よりもタイを出国する時のほうが手荷物の中身を精査されたことから、保安検査は日本よりもタイのほうが厳しいと感じました。過去にはインドネシアへ行った際にも同じ感想を持ったことがあります。
恐らくは自国から出るか他国から出るかの違いであり国籍に起因するものと思われますが、その差は少し気になるところです。もしかしたら日本の保安検査は緩くて他国は厳しいのかもしれません。
このような差異を見つけた際、それを均すべきかどうかが思考をよぎることもあるかと思います。今回の場合であれば「日本は保安検査が緩いので、安全のためにも厳しい世界基準に合わせるべきだ」とした考え方です。
他国と比較して日本の変化を論じるこのような見解は、それがポジティブであれネガティブであれ、良い点であれ悪い点であれ、厳しい点であれ緩い点であれ、日々各所で様々な定型をもって見かけることでしょう。
ただ、国家や個人に存在する何かしらの差異に対して、他と比べて差異を均すべきだと変化を促す発想は、それがどのような方向性であれある種の同調圧力に近似するものではないでしょうか?
均質化への願望
同調圧力(Peer pressure)はある集団の合意形成時に多数派が少数派を抑圧して多数意見に合わせるよう誘導する強制力です。多数派は集団における一種の”型”であり、そこから外れることを認めずに”型”へ収まるよう働きかける圧力を指します。
同調圧力は必ずしも悪とは限らず、その集団の紐帯を保持することに役立つ側面や集団の機能性を高める効果を持っています。構成員が均質化された集団は環境の変化に脆く発展性に欠けたものとなりますが、一機能においては突出した性能を発揮することが可能です。
よって同調圧力の許容度は集団の目的によって変動するものとなります。軍隊のように機能性を最優先として過剰な同調圧力が許容される傾向を持つ集団もあれば、現代の企業のように多種多様なビジネス環境の変化へ適応するために同調圧力を忌避して多様性を確保する集団もあります。
また前提として、どのような集団であっても「目的」に対しては同調する必要がある以上、集団は必然的に同調圧力を生み出します。たとえば多様性を重視する集団であれば「多様性を重視しなければならない」とする同調圧力が生じます。集団の構成員がまったく異なる「目的」を持っているのであれば集団を組む意味が無い以上、それはやむを得ないことです。
多少極論ですが、集団はそれ自体が均質化への願望を持っていると換言することができるでしょう。これは集団の”型”に近い多数派であればあるほど集団と同質化していることから強く内面に生じます。
同じである必要を論じる際の根拠とはならない
よく見かけるような「他国と比べて日本はこうだから合わせるべきだ」とする考え方は、多数意見に対して少数意見を抑圧する形式を持っていることから、まさしく同調圧力に相当するものだと考えます。
これは政治的思想を問わずあらゆる党派に見られる傾向です。それこそ世間的な論争の種となっている『軍隊の保持』や『死刑制度』を代表例として、「他国と比べて日本はこうだから合わせるべきだ」とした主張は主張者の政治的立ち位置に関わらず散見されます。
もちろん前述した通り同調圧力は必ずしも悪ではありませんし、他者や他国の良い点を見習い自らの改善を図ることは極めて有益なことです。
ただ、悪用とまでは言いませんが、持論を主張する際に同調圧力を援用していないかについては自覚的に認識しておいた方が健全ではないかと愚考します。
「皆がやっているのだからやるべき」「皆がやっていないのだから止めるべき」は同調圧力が強いとされる日本人的な発想かもしれませんが、同調圧力は必ずしも主張の裏打ちとなるものではなく、他国と同じようにすることが本当に必要かどうかはまた別の論理が必要です。
その論証を飛ばして同調圧力によって主張を押し通そうとするのはあまり健全ではないと考えます。