忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

敵と味方・正義と悪・白と黒の線引きは極めて自動的で、そして誤りである

 何かしらの対立構造が生じている際、片一方の批判を行うと自動的にもう片一方の味方だと認識してしまうクセが人間には存在します。それは例えばAとBの対立構造において「Aを批判するということは、君はBに与するんだな」とするような認識です。

 

 ただ、残念ながら世の中はそこまで単純ではありません。敵と味方、正義と悪、白と黒、そこまではっきりと二分できればたしかに楽ではありますが、そのように捉えてしまうことは明確に誤りです。

 

人々を2つの集団に分けることはできない

 過去にも幾度か取り上げたことがありますが、人々を二分して考えることは誤りです。それは私たちの脳が自動的に行っている情報処理に過ぎず、その認識は現実を反映していません。AでないならB、ではなくCやDやEやFの可能性があることを無意識的に除外してしまっているだけです。

 いくつかの集合があるうちの1つだけを取り上げると、私たちの思考の構造上、物事を単純化して受け取ってしまうバイアスが働きます

 「上位1%の人が世界の富の4割を保有している」はその典型例に近く、私たちの思考はこの言葉から次のような集団を連想してしまいがちなものです。

  • 上位1%が4割
  • それ以外の99%が6割
  • 極めて少数の人が世界の富を独占的に保有している

 しかし実際の世の中は上位1%とそれ以外で分類できるほど単純ではありません。現実にはもっと段階的な富の分布をもっています。よって資産の保有量を2つの集団で分類してしまうのは認知バイアスに他なりません

 

 昨今の事例で言えば、次のようなことが言えます。

 普段は特定の何かしらを直接的に名指すことは好みではないのでやりませんが、今回は分かりやすさを重視してハッキリと名称を出してしまうこととします。

 

■旧統一教会への解散命令を憲法の信仰の自由に反しているので反対する人は、必ずしもその宗教団体の味方とは限りません。その宗教団体には批判的で、しかし立憲主義を守るためにも別の方策を取るべきだと考えている場合があります。

■パレスチナのハマスを批判している人は、その標的のイスラエルを擁護しているとは限りません。ハマスもイスラエルもどちらも悪いことをしており、どちらも正すべきだと考えている場合があります。

■野党の行動を批判する人は、その反対にいる与党を支持しているとは限りません。個別に是々非々で物事を捉えている人もいれば、ニヒリズムで全てを批判している人だっています。

 

 他にも無数の事例を挙げられますが、いずれにしても人の意見や立ち位置は多種多様です。

 もちろんポジショントークとしてBの味方をするためにAを批判する人はいます。しかし全てがそうではなく、単純に二分して分類することは不可能かつ誤りです。

 

敵を増やしているのは己の脳

 AでないならばBである。

 この単純で誤った認識の前提にあるのは、全ての人間が大なり小なり保有している『自らの正しさに対する確信』によって生じます。

 ”私はAが正しいと思っているので、それに完全同意しない別の意見は全てBに違いない”と脳が自動的に識別しているに過ぎません。

 しかし、この考え方は実在しない幻想の敵をただ増やしているだけです。

 実際は部分的に同意できたり問題解決に協業できるはずの様々な意見を全てAではないからだけの理由でBとみなしてしまうと、Aと完全合致する意見は数少なくなることから必然的に味方の数が少なくなってしまいます。それは現実に味方の数が少ないのではなく、自らの頭の中で敵を増やして味方を減らしているだけです。

 

結言

 必要なのは自らの思考のバイアスを認識すること、そして自らの正しさを疑うこと、もっと言えば正しさを独占しないことです。

 世界中に様々な意見が存在する中、自らの意見こそが絶対的に正しいのだと確信して世間から正しさを独占してしまうと、他の全てが”正しくない敵の意見”になってしまいます。それは世間の多くが敵に見えてしまう辛い認識であり、誰も幸せになりません。

 これは脳の自動的な識別によるものである以上、意識的に改善することが可能であり、逆に言えば、意識的に改善しなければ自然とそうなってしまうものです。

 よって私たちは意識的にこの脳の機能を認識し、正しさを独占しないよう注意することが必要だと考えます。相手には相手の正しさがあり、自らの正しさと相手の正しさに重み付けをしないこと、正しさを独占しないこと、それこそが不要な軋轢を生じずに自らが正しいと思うことを世間に伝播する方法であり、幻想の敵を減らして生き辛さを解消するための術です。