忘れん坊の外部記憶域

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頭が良い人ほど間違いを認められない

 人は時に異なる意見を持つ相手を誤った愚か者だと考えてしまうことがありますが、異なる意見だからといって誤っているとは必ずしも言えません。人それぞれに異なる思想や信念を持ち、何を重視しているかは違うことから、同じ情報を受け取ったとしても同じ結論に至るとは限らないためです。

 よって異なる意見を持った人を単純に誤った愚か者だと断定することは避けた方が良い考え方です。

 

 もちろん何事も賛否両論で両立させればいいわけでもなく、明確に誤った理解や認識に至っている場合もあります。

 今回はそういった誤った理解を持った人にどう接すればいいのかを考えていきましょう。

 

口論は無意味

 相手の誤りを指摘する際、強い言葉を用いたり誤りを正面から否定しても大抵の場合は無意味です。相手は聞く耳を持たず、ただ口論になるばかりです。

 それは特にSNSなどでよく見かける光景でしょう。正しいと思う情報を強く伝達したとしても、人は簡単には受け入れません。

 その理由は簡単で、相手も同じだからです。相手は相手なりに正しいと思う結論を持っていて、こちらが間違えていると思っています。同じ情報を受け取ったとしても同じ結論に至るとは限らない以上、情報や事実を持って根拠を羅列したとしても同意を得られるとは限りません。

 こちらからすれば「なぜこの情報からこんな結論に至るのだろう、相手は間違えている」と思うかもしれませんが、それは相手もまったく同じ気持ちです。

 それぞれが互いに正しいと思う結論を持っている、もっと言えば『相手が間違えていると確信』して意見をぶつけ合った場合、互いに納得のいく落としどころへ辿り着くことは難しくなります。互いに相手が間違えていると信じている状況では妥協や修正ができず、意見の正しさではなく互いの非を指摘し合うだけの非生産的な口論になることは必定です。

 よって相手が間違えていると考える時、必要なのは強い言葉で指摘をしたり誤りを正面から否定することではありません。

 

頭が良い人ほど間違いを認められない

 さらに言えば、異なる意見を持つ人、自分から見て誤った意見を持つ人が愚か者かと言えばそうとも限りません。頭が悪いから間違えるのではなく、頭が良い人も頭が良いからこそ間違えたり人の意見を聞けなくなることがあります。むしろ頭が良い人ほど陥りやすい傾向があると言えるかもしれません。

 頭が良い人は自身の意見を補強するため、自論に都合の良い情報を集めることが可能です。同じ情報を受け取ったとしても同じ結論に至るとは限らないため、世間には自論に都合の良い情報がいくらでも転がっており、そういった情報を選択的に収集することができます。そのため頭が良くとも最初に辿り着いた結論に固執して間違え続けることは往々にして起こり得ます。

 

 また頭が良い人は知性への信頼が高い分、自身の知性に誤りを認められなくなる傾向を持ちます。

 人は間違える生き物であり、意見と知性はイコールではないのですが、誤った意見を持つ人を愚か者と扱うとそれがイコールになってしまい、頭が良い人ほど自らの知性から導き出された意見が否定されることを受け入れがたくなります。

 よって誤った意見を持つ人を愚か者と扱うことは適切ではなく、それをやってしまうと相手が頑なになるだけです。

 

自ら気付かせて、逃げ道を作る

 誤った意見を持つ人を説得したい場合、必要なのは正面から論破しようとすることではなく、相手を愚か者だと否定することでもなく、自ら気付かせることが最良の手段です。

 特に相手の頭が良い場合はこれが有効です。

 頭が良い人は自身の知性に自信を持っていることから、自分で導き出したと思う見解に対しては受容度が高くなり容易に受け入れられるようになります。

 よって必要なのは詰問して追い詰めるような仕草ではなく、そっと別解を提示して自ら気付かせる姿勢です。目的は相手の誤った意見を否定することであり、それは知性の否定ではなくただの意見の否定であって、相手に恥をかかせることが目的ではないことを示すことさえできれば、頭の良い人ならば恥を避けるためにうまく取り繕ってくれます。

 

 イギリスのことわざにあるように、『馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない』ものであり、意見を押し付けるのではなく自ら選ばせることが重要です。

 

結言

 他者の誤りを指摘する場合は、無理やり飲み込ませようとするのではなく、自ら飲み下すのを見守って待つ姿勢が必要です。

 

 もっと単純化して言えば、「バーカバーカ!」と言われて誰が意見を変えるんだという、簡単な話でもあります。そりゃあ頑なにもなるというものです。