忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

人間にも換毛があれば楽なのに

 状況、環境、いや、世界が私に求めている。

 言語ではなく五感をもって私に語り掛けてくる。

 

「そろそろ長袖の服を出せ。もう寒いだろ」

 

衣替えが下手な、ある人間の思考回路

 そんなわけで、どんなわけかは分からないですが肌寒くなってまいりましたので衣替えを行いました。人様と比べて明らかに今更の遅まきながらではありますが、ようやくです。

 私は職場のユニフォームの夏用と冬用を変えるタイミングがダントツで遅いタイプの人間です。一部の”万年半袖さん”を除いて、大抵の場合は最後の最後になります。

 

 今回の気付きはタイ出張です。日本のなんとも寒いこと寒いこと。あちらでは外に立っているだけで汗が出てくるくらいに暖かかったのですが、こちらに帰ってくると立っているだけで体が震えるほどに寒くなっています。飛行機の帰着後に帰路の電車を見回しても半袖人間はもはや絶滅危惧種であり、ほぼ全員が長袖人間へと変貌を遂げていました。よくよく思い出せば往路でもそうだったのですが、その時は気付きませんでした。観察力が足りていません。

 そこまで温度差と周囲の変化が無いと気付かない辺りが私の限界です。日常的な思考はそこまで遅くないと思うのですが、気を割いていない事柄に関してはとことん鈍感です。

 「なんとなく寒いような気がする」

 「なんか寒い?」

 「あ、寒いな」

 「そうだ、長袖を出そう」

 思考がここに至るまでに数週間程度が必要なくらい遅いです。思考も五感も鈍感です。「あ、寒いな」と「そうだ、長袖を出そう」の間だけでも容易に一週間以上の時差が生じます。

 

勝手に変わってくれればいいのに

 換毛ってあるじゃないですか。動物の夏毛と冬毛が抜け変わるアレです。

 季節が変わる時期になると「人間にも換毛があれば楽なのに」とよく思っています。

 思っているだけです。実際生え変わったら部屋の掃除が面倒極まりないのでイヤです。

 

 そもそも人間は体温調整を体毛に依存しないよう変化した動物であり、極寒から極暑まで存在する多種多様な地球環境へ適応するため進化を果たしました。人間が地球上のあらゆる地域に分布できているのは体毛に依存しなくなったことが大きな要因であり、環境に応じて温度と衣服を制御することは人間の本能的な行動ですらあります。

 それがまともにできないのはもはや本能を失っていると言っても過言ではなく、生物的な敗北を意味すると言っても過言です。さすがに過言です。強いて言えば敗勢です。まだ負けていません。何と競っているかは分かりませんが。

 

結言

 まあ、衣替えヘタヘタ人間の思考なんてこんな程度のものです。

 こんな程度だから衣替えがちゃんとできないのです、まったくもう。

 

 ちなみに、衣替えで出した冬服の袖はまくっています。愚か者です。