忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

ニュースを見ることの価値と意味

 どっと疲れが出たのか、体力も気力も尽きて思考が働かない休日を過ごしていました。常日頃であれば興味の有無を問わずに国内外のトップニュース程度は見ているのですが、それすら見ていません。そもそも海外出張中にニュースをほとんど追えていなかったこともあり、ここ一週間の情勢があまり把握できていない状況です。

 まあ、特に意図はしていませんでしたが、ある種のデジタルデトックスです、はい。そういうことにしておきましょう。

 

 そんなついでに、ニュースの意味について個人的な考えを述べていきます。

 

ニュースには直接的な価値はほぼ無い

 時々、ニュースを見ない人に出会うことがあります。

 統計や相関を取ったわけではないので具体的な比率は把握していませんが、年代や学歴、職種や性別などにはあまり関係がなさそうです。実際にはある程度何かしらの傾向はあるのでしょうが、私の少ない観測範囲ではそこまで極端な傾向を得られていません。グローバルに働く高齢の営業マンでもさっぱりニュースを見ない人もいれば、日本の片田舎で工場勤務をしている若い労働者でも様々なニュースを見ている人もいます。

 

 ニュースを見ない理由を聞くと、多くの場合は「見ても分からない」「見ても面白くない」「見ても意味がない」といったあまり前向きではない理由のようです。

 実際、大抵の人にとってニュースは直接的な価値や意味を持つものではありません

 もちろん株取引やFXなど直接的な影響を受ける人もいますし、遠方でも大きな災害や事変であれば物価などに間接的な影響が無いとは言えませんが、大抵の場合、そして大抵のニュースは直接関わりのある事柄ではありません。遠くの地域で何が起こっていようが、それこそ海外で何が起こっていたとしても、そのニュースを見ている個人にとって直接的な影響はないどころか直接的な意味すら持ちません。

 

ニュースを見ることの価値

 ただ、だからニュースは無価値で無意味かと言えば、そうではないと考えます。

 それにはいくつかの理由がありますが、その一つとして私はニュースをある種の基本的な思考訓練になると考えているためです。

 国際やテクノロジー、芸能やスポーツなどどのようなジャンルであっても、ニュースを表面的になぞるだけではなく深く正しく理解するためにはバックグラウンドに大量の知識が必要です。一部のニュースは解説が含まれていることもありますが、その解説ですら表面的に過ぎないものであり、解説を正しく理解するためには事前に知識を持っている必要があります。

 例として、ちょうどここ最近話題となっているイスラエルとパレスチナの確執と問題は、ニュースのついでとして付属している解説程度では充分な理解を持つことなどまずできません。書籍ですら数冊程度では本質的な理解を得るまでには至らないでしょう。

 

 ニュースを理解するためには次のような段階を踏んで思考する必要があります。

  1. 受信した情報を適切に獲得する
  2. 保有している情報を整理して必要な知識を参照する
  3. 歴史的経緯・地理的影響・利害関係者の把握など、引き出してきた知識と照らし合わせて情報を解釈する
  4. 自らの知識体系の中に情報を新たに保存する

 つまり、情報の獲得・整理・参照・比較・解釈・保存がニュースを見た際に人の頭の中で無意識的に行われています。

 そしてこれはニュースに限らず頭の使い方の基本です。細かいことを言えば他にも分解・加工・検証など様々な機序がありますが、頭を使って思考する時は大抵の場合でこのようなフローで行われます。過去の経験や学んできた知識を引き出して参照し、現在の状況と比較して適用できるかどうかを判断して、その情報を保存することはとても基本的な頭の使い方だと言えます。

 つまりニュースを見ることはまさしく頭を使うことに他ならず、簡単に言えば頭の体操、もっと堅苦しく言えば思考訓練です。

 

結言

 大抵のニュースは大抵の人にとって直接的な価値も意味もありません。

 ただ、ニュースを見ることは基本的な頭の使い方を鍛えることに繋がります。

 少し功利主義的な発想ではありますが、ニュースにそんな価値を見出してみるのも悪くは無いかと思います。

 

 

余談

 もちろんこのような側面以外にも、ニュースの価値を見出すことはいくらでも可能です。

 例えば公共心や公徳心、もっと言えば利他的な思いやりを持つことにもニュースは役立ちます。人は知らないことに心を動かされることはなく、世界でどのようなことが起こっているかを知らなければ世界をより良くすることに興味を持ちようがありません。公のため、すなわち他者のために動ける公共心や公徳心を持つ人は、まず公のことを知っているからこそ動けます。

 

 極論ですが、ドラマや映画、小説といったエンターテイメントだってそこに受信者の直接的な関係はありません。ドラマの人物がどうなろうが、映画の結末がどうなろうがニュースと同じように関係のないことです。しかしそれを見たことによって人々の心に残り人々の心を変える何か、思いやりや勇気などプラスになる何かがあるからこそエンターテイメントには大きな価値があります。

 そしてそれはニュースも同じです。