忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

ある技術屋にとっての言語学習

 言葉は重要だ。

 

言語の壁はそこそこに厚い

 結局は自身の語学力の無さが根本原因ですので、人様を責める訳にもいかないのですが、先日のタイ出張では言葉でとても苦労しました。

 担当者級は基本的にタイ語しか分からないことが多く、私がフワフワした英語で説明し、不足がある場合は英語で日本人営業マンが補足し、それをタイ人営業マンがタイ語に翻訳するという奇妙な3人体制でのやり取りだったために、なかなか適切にニュアンスを伝えることができず、むしろ誤った伝達が多発しました。

 1.”私のあやふやな英語による技術的な説明”

 2.”日本人スタッフの誤解による誤った補足”

 3.”誤りを修正する間もなくタイ語に翻訳される説明”

 なんとも困った連係プレイです。技術的知見とバックグラウンドを同じくしていないとそもそも翻訳ができないという、致命的な問題です。

 いえ、まあ、そもそも日本語でのコミュニケーションすら技術面ですれ違い気味だったので語学云々だけの話ではなかったような気もしますが、語学面でもすれ違っていたのでもうどうにもなりません。ダブルですれ違えばマイナス×マイナスでプラスになるかと期待したいものの、ただただ単純にマイナス+マイナスで大マイナスでした。

 

 例えば「Aの条件ではBがCになる」と説明すると、何度も「よく理解できないが、とりあえずBはCになると彼は言っている」とだけ翻訳されてしまいます。たしかにローコンテクストなやり取りが基本の異文化交流において物事は明言した方が印象はいいのかもしれませんが、必ずしもBがCになるわけではないことを伝えないと後々トラブルになりそうで技術屋的には怖いです。

 

物事は順序立てて進める

 以前、当時の上司から教わったことを今でも覚えています。

「我々技術者は言語学習よりもまずは技術を身につけるべきだ」

 これは今でも同意です。たとえ相手と同じ言語を話せたとしても、技術が未熟であっては技術屋として信用を得ることも信頼されることもできません。言葉は重要ではありますが、まずは内容こそを充実させるべきだとする考えは変わらず持っています。

 ただ、今の私はもう充分に語るべき技術を身につけています。私の専門分野においては私よりも詳しい人は世界中探しても数えるくらいしかいないでしょう。

 それに対する自画自賛をしたいのではなく、ここは当時の上司の言葉を振り返って考えてみるべき時に至ったのだと思っています。

 つまり、『まずは技術』の段階が終わったので、『次は言語』です。語るべきことがあっても語るべき術が無ければどうにもならないことを理解し、自らの知見を適切に言語化できるようになることが次に私が目指すべき価値となります。技術だけではなく、言語だけでもなく、複数の言語で技術を語れるようになれば、オンリーワンの市場価値を得ることができるのですから。

 

結言

 なにはともあれ私が直接かつ完全に言語を扱えていればすれ違いは生じない以上、文句を言う暇があるなら言語学習をやるべきであることは論を俟たない話です。よってグローバル化したビジネス環境で役立つために、私は実戦に役立つレベルの語学力を身に付けなければなりません。好き嫌いではなく否応なしに、ではありますが。