忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

無駄を無駄にしないための無駄な努力

 何回目かは忘れましたが、どうにも筆が進まずにお蔵入りしたボツ記事を供養する定番?の記事です。無駄になった記事を無駄にしないための無駄な努力をご笑覧ください。

 

 今回は記事の仮タイトルと覚書を転記して、それについてコメントをしていきます。

 

学習力は加齢によって低下するのではなく、単純に時間の問題では?

 「歳を取ると物事を覚えられなくなる」はとても一般的な感覚・言説だと思うが、個人的には少し疑問。もちろん加齢によって記憶の保持力は低下するかもしれないが、学習力は別なのではないか。歳を取っても、むしろ歳を取ったからこそ学習力は高まることだって考えられる。

 最終的にはどれだけその学習に割けるかの時間的制約と体力、好奇心の持続力に依存するのだと考える。

 

ボツ理由:医学的な説明が大変だから

 

 子どもの頃はゲームの攻略方法や漫画のキャラクターのことをあんな簡単に覚えられたのに、大人になるとなかなか物事が覚えられなくなるのはなんでだろう?と思ったので思索していました。

 結論としては、学ぶ力自体は加齢によって高まっているが根本的に割いている時間が子どもの頃よりも圧倒的に短いため覚えられないのではないか、そんな見解です。よくよく考えなくても子どもは1つの物事にかけている時間が大人よりも圧倒的に長いですからね。

 だから大人もどんどん勉強時間を取りましょうと〆たかったのですが、ただ、それを語るにはまず学習力と記憶力はイコールなのか、そして記憶とは具体的に何かから話す必要があり、長期記憶やらエピソード記憶やらそんな専門用語を並べるのは面白くなさそうだったのでボツにしました。

 

割り切れないならば分数のままで

 世の中、割り切れないことばかり。

 割り切れないならば、無理に割り切ろうとせず分数の形で取り扱わないといけない。

 割り切れないからと数値を丸めてしまっては必要な情報まで削ぎ落としてしまうことになる。

 複雑で難解な現実を簡略化して割り切ろうとするのではなく、複雑で難解なまま保持する。それは難しいことではあるけど、難しいことを取り扱うのであれば必要な技能。

 

ボツ理由:前提情報が多すぎる

 

 物事を理解する際に情報を簡略化し過ぎてしまうと本質的なところを見失ってしまうので、難しいことは難しいまま理解するよう努めたほうがいいですよ。

 という話を技術屋らしく算数的な表現で説明しようと思ったのですが、「受け入れがたい事象を人はどうやれば受け入れられるか」についてある程度説明が必要になり、そのためには精神分析の防衛機制について解説する必要があり、もうどう考えても冗長になりそうだったのでボツです。

 

娯楽について思うところ

 娯楽の是非については人それぞれ意見がある。時間の無駄だと思う人もいるだろうし、実益的なことを重視する人もいれば楽しさを優先する人もいる。

 個人的には娯楽の価値を高く見積もっているが、とはいえ他の意見を否定できるほどの論拠はない。結局のところ人生において何を至上とするかは人それぞれ異なるのであり、それによって娯楽の価値が変わるのは自然なことである。

 

ボツ理由:考えがまとまらなかった

 

 政治経済のような”お堅い”話をこのブログではよく垂れ流していますが、私自身はそこまで”お堅い”人間ではなく、どちらかと言えば”不真面目”な分類に入るであろう娯楽の価値を高く見積もっています。楽器の弦は張りつめ過ぎても緩すぎても良い音が出ないように、人間も適度な張力を保つことは必要だと考えるためです。人にはパンとサーカスが必要です。

 また娯楽はそれそのものの是非よりはそこから何を得ることができたかに意味があると思っています。ドラマから心の機微を学ぶ人もいれば、小説から知らない世界の知見を得る人もいます。漫画やスポーツで人生の教訓を学ぶ人だって、旅行やゲームで人生が変わる人だっています。そう考えると娯楽は必ずしも無駄で無益なものとは言えないでしょう。

 そのため特定の娯楽の是非を問うのではなく自らに適した娯楽を個々人で選択することがいいのではないか、そう思っているのですが、どうにもこの見解は功利主義に寄り過ぎていて「時間の無駄こそ娯楽の神髄」といった意見を包括できていないような気がしたためボツです。

 もちろん無駄なことをすることが当人の心の安らぎになるのであればそれはそれで役に立っているから良いとは思うのですが、どうにも後付けの言い訳くさい口上になりそうで。

 

結言

 言いたいことは色々とありつつも、ネットの場末とはいえ世に提供するのであれば最低限の体裁と礼節は整えておかねばならないだろうと思っているため、必然的にボツ記事が日々積み重なっていきます。

 そんなボツ記事をもったいないのでまとめて一つの記事にする、これはリサイクル的なエコ活動です、と言い張ってみます。