忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

活字もいいもんだとおっさんは思うんだ

 若者よ、活字離れなんて勿体ないぞ、もっと本を読もうぜ!

 なんて、いきなりおっさん臭いことから言い始めてみます。

 ちなみに公益社団法人全国学校図書館協議会の調査によれば小学生と中学生の平均読書冊数は1991年~2021年の間ほぼ右肩上がりに上昇しています。つまり今の若い子のほうがよっぽど本を読んでおり、おっさんのほうが若い頃に本を読んでいなかったということです。データって残酷ですね。

映像コンテンツが優れているのは分かる

 ストリーミングが発展した現代社会において、活字に比べて単位時間当たりに受け取れる情報量が圧倒的に多い動画が主流になるのは寂しいですが当然のことです。動画は本と違って文字テロップもあればジェスチャーもあり、セリフもあれば音楽もあります。映像の情報量はテキストの5000倍とも言われているそうです。言われているだけで科学的データは無いただの宣伝文句なのではありますが、まあ情報量が多いのは事実です。

 人にもよるでしょうが教科書を読んで勉強するよりも有名講師の授業を動画で見た方が効率的な学習ができることもあるでしょう。学校の成績を上げるには本なんて効率が悪いので読んでいる場合じゃないかもしれません。

動画は情報が多すぎる

 ではもはやどのようなことでも動画で学べばいいのかと言われるとちょっと待ってください。確かに動画は情報量が多く必要な情報が充足しています。しかしそれは逆に言えば情報の不足を得ることができません。それは学校の勉強のような系統学習においては問題になりませんが、実社会における問題解決では大きな問題となります。

 学校のテストで出る問題は全て教科書の範囲内です。そのため教える側は不足が無いように全てを教えなければいけませんし、教わる側も漏れなく抜けなく学ばなければいけません。このような状況では体系だって物事を学ぶことができる系統学習が適しています。

 しかし学校を卒業し世の中に出てみると、そこで出くわすのはどれも完全な情報を手に入れることができない問題ばかりです。事前にテスト範囲は分からず、何を前もって勉強しておけばいいかだって不明で、手元にある情報は常に不足しています。答え合わせも無ければそもそも正しい答えなんて存在しない問題だってあります。

 例えばエンジニアは新しい製品を設計する時に誰も作り方を教えてくれませんし教科書にだって書いてありません。教師が生徒毎に合った適切な指導方法を行うには推定と試行錯誤が必須です。医者が患者の病気を判別するには検査と知識に基づいた推測が必須ですし、「私が犯人です」と顔に書いてある犯罪者なんて居ないからこそ警察は足を使って手探りで捜査をするのです。実社会における問題はいつだって答えを自分で探す必要があります。

 そのような状況で必要になるのは系統学習の対となる問題解決学習です。不足した情報から推定し、類推し、推測するような訓練を積むことで目の前の問題に対応することができるようになります。そしてそのためには手に入る情報が不足しているという経験が必要です。

 活字コンテンツまさにこの情報の不足を体現しています。情景一つ取っても映像コンテンツはその風景を直接的に目視することができるのに対して活字コンテンツは想像力を働かせなければイメージすることができません。どれだけ微に入り細に入り描写されていようが想像の力が必須です。作者の意図や登場人物の心情は行間を読まなければ分かりません。音楽や字幕による補助なんて一切ありませんので読解力が必要です。

 この読解力こそが実社会で遭遇する問題に対処するための最大の武器です。読解力があれば新しい課題に取り組むときや相手の心情を察するときなど不完全情報の渦中にあっても適切に対処することができます。本を読んで読解力を鍛えることは問題解決学習を勉強しているようなものなのです。

 映像の方が分かりやすいし情報量も多いし効率的だよ、なんて言わず、ぜひ活字コンテンツにも触れてもらいたいと思う次第です。

余談

 まあ、冒頭で書いたように今どきの若い子は本をたくさん読んでいるようですので、活字も映像も使いこなせるハイブリッドで優秀な子がこれから続々と社会にやってくるのでしょう。おっさんである私も負けていられないと張り切るばかりです。空回りしそう。