暴論に暴論で返す試み。
宜しくない質問
『人の優劣や上下を収入で判別する』
『収入を人の価値の物差しにする』
そのような方が世の中にはいらっしゃいます。
思った以上にストレートな質問になるので人様へ直接は言わないのですが、そういった方は、こう聞いたらどう答えるのでしょう?
「では、ほとんどのアフリカ人は日本人よりも劣っているということですか?」
収入=価値であれば、収入の分布からしてこのような解釈が成り立つはずです。
論理の綻び
想定される回答はいくつかあるかと思います。
一つは論理の後退。
「そういう意味ではない」として、収入=価値という強い主張を掲げていたのにスコープを狭めて「国内比較」や「同じ条件下での努力の差」などに限定しようとするでしょう。
しかし後退した時点で論理的には「収入を価値基準とする」という原理を放棄しているため、自己矛盾を露呈することになります。途中で持論の前提を変更することは誠実さと説得力が不足していると見なされる行為です。
一つは制度への転嫁。
「日本とアフリカでは社会構造や環境が異なるから比較にならない」といった制度的差異を理由とするかもしれません。
これは一見すると合理的な説明に見えますが、実際には持論の前提を崩してしまうことになります。収入の差は社会構造の結果であり、個人の能力や価値を直接表すものではないと認めることになるためです。制度的差異を要因として持ち出すならば、収入の差を個人の優劣に結び付けるのは不誠実というものでしょう。
一つは差別の肯定。
「そうだ、彼らは劣っているのだ」と開き直るような方向性もあり得るでしょう。
これは論理的には「収入=価値」を徹底しており一貫した態度ではありますが、倫理的には人間の尊厳を否定する露骨な差別的態度に直結します。率直に言って暴論ですし、社会規範や人権の理念と真っ向から対立する、あまり望ましくない考え方です。
他にも、「そんな極端なことを言っても意味がない」と質問自体を攻撃することによって議論の土台を壊す反応や、「事前条件が異なれば比較はできない」と議論を打ち切る反応もあるかもしれませんが、いずれにせよ『人の優劣や上下を収入で判別する』ことを肯定するだけの論理はありません。
この論理は非論理的かつ、時には非倫理的であり、一般的に適用することは不可能です。
結言
もちろん、冒頭の質問は迂闊に用いれば人種差別的な要素すら含みかねないものですので、基本的には使うべきではありません。
この質問の構図自体がある意味でトラップです。
質問の形態が人種差別的であるがゆえに、これを拒絶したいがための感情をてこに、論理に矛盾を来たすように誘導しているようなものですので。
とはいえ、別にアフリカ人でなくとも、他国人でも居住地域でも男女でも年齢でも、代入できる項目はいくらでもあります。
そして何を代入しても『人の優劣や上下を収入で判別する』ことの汎用的な論理的妥当性を見出すことはできないことが分かるでしょう。収入の差において、個人の資質によらない要因はそれこそ無数にあります。
よって、『人の優劣や上下を収入で判別する』ことは不適切です。なんとも簡単で、当たり前の結論となります。