忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

政治活動における攻撃的な言説の無意味

 

 当ブログで何度も繰り返してきた話題。

 

政敵の攻撃は効果が薄い

 参院選が近付いているためか、またぞろインターネットの政治界隈が荒れているように思えます。政敵を貶めるための攻撃的な言論が飛び交っていて、あまり宜しくない言論環境です。そういうところが一般の人々を政治から遠ざけている元凶の一つなのですが。

 ヤジや悪口、人格否定や罵詈雑言が当たり前のように飛び交うことが当たり前だと思っているのであれば、それが如何に幼稚であるかを理解するためにも少し政治から距離を置いた方がいいと思います。まだ小学校の学級会の方がお行儀が良いことに気付くでしょう。

 残念ながら言論空間を正常化する特効薬は存在しないでしょう。こればかりは徐々に変わっていくことを期待するしかありません。

 

 派閥や利益によって固定化の進んだ『昭和的な政治』に対して、そういった構造を改革することが持て囃された『平成的な政治』を通ってきた結果、対立や破壊では物事は解決しないじゃないかと人々が学んだのが『令和的な政治』です。「ぶっ壊す」「とにかく変える」「あいつらが元凶だ」、過去に有効であったそういった言葉は人々に届きにくくなっています。

 よって政敵を攻撃している暇があるならば自分たちのヴィジョンを語ったほうがよほどマシです。

 たしかに昭和や平成に存在した二大政党ライクな政治環境であれば政敵の攻撃にも一定の効果が見込めます。選択肢が二つしか無ければAが駄目ならば代わりにBを選ぶ、そういった投票行動を期待できるためです。

 しかし現在の政治環境は多極化が進んでおり、Aが駄目だと訴えたとしても代わりのBではなくCやDやE、或いは棄権が選択される可能性があります。政敵の攻撃はもはや古い手法となり、目的である自勢力の拡大にはあまり効果を発揮できません。

 

 その点で、自勢力のアピールポイントを強く主張する『令和的政治』をやっている政党はいくつかあります。昨今支持率を上げているのはそういった政党ばかりです。

 その中身に関する是非は、まあ恐らく人それぞれですが。

 

結言

 とかく、政治への関心に対するアンケート結果からも分かるように政治的言説の暴力性が人々を政治から遠ざけていることは明白であり、政治に関心があり人々の政治参画意識を改革しようと啓蒙したがっている人ほど穏健な言説を心掛けなければなりません

 そして攻撃的な言説は現代では政治勢力の伸張にも役立ちません。むしろ他所を利するだけの不適切な表現であり、控えたほうがいいでしょう。

 

 総じて、政治活動における攻撃的な言説は基本的に無意味であり、せいぜい政治思想が近しい人々の間における内輪での満足やエコーチェンバーの補強にしか役立ちません。真面目に政治のことを考えているのであれば是非とも止めた方がいい仕草です。