忘れん坊の外部記憶域

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民主主義と党派性

 

 そこまで目新しいわけではない話ですが、民主主義政治と党派性はとても難しい関係にあります。民主主義政治、特に間接民主制において党派性は不可欠な要素であり、そして党派性は民主主義を毀損する要因にもなり得るためです。

 

党派性の意味

 党派性とは「主義・主張などが特定の党派にかたよっていること」を意味する言葉です。汎用的な言葉ではありますが、もっぱら政治界隈で使われることが多い言葉だと言えます。

 党派とは仲間や団体を意味する言葉であり、要するに党派性の大小とは所属に対する愛着の大小に等しいものです。学校や会社、地域や国家、家族やサークル、宗教や政治的見解など、同集団に所属する人々に対してどれだけ愛着を持つかは人それぞれ異なるものであり、同じ会社に勤めていても仲間意識を感じない人もいれば、同じ地域出身の著名人に親近感を覚える人もいます。その大小こそが党派性の大小です。

 

 党派性の強い人は、良く言えば仲間意識が強く、悪く言えば仲間贔屓の傾向を示します。身内を厚遇することと身内以外を冷遇することは表裏一体です。それが美徳であるか悪徳であるかは、時と場合と程度と観測者によります。

 

民主主義の法則

 民主主義政治とは言ってしまえば多数派形成ゲームです。如何にして人を取り込んで大集団を形成し多数派として統合するかの手腕こそが政治力の指標となります。仲間を増やすことがゲームの勝利条件です。残酷ではありますが、民主主義では多数派を形成できない集団が勝利を得ることはできません。

 もちろんこれは少数派への排除や迫害が許容されることを意味しません

 合理的には51vs49で多数決を取ることがコストパフォーマンスに優れるように見えて、実際にはそのような僅差では軋轢が生じて無駄な争いが発生します。究極には少数意見までも取り込んで全体を統合することが最大の勝利条件であり、民主主義の理想形は100vs0が最大効率です。

 

 何はともあれ、民主主義とは仲間を集めて多数派を形成するゲームだと例えられます。

 そのようなゲームではどのようなタイプが勝者となるか。

 それは非常に単純な話で、党派性の強い人がゲームを制します。集団に愛着を持たず仲間に何も与えない人は愛想を尽かされて、集団に愛着をもち献身的に仲間へ奉仕する人がリーダーに担ぎ上げられるのは自然なことです。

 要するに民主主義政治では身内に甘く敵に厳しいタイプの人が権力を握ることが必然的です。そうでなければ最大多数の派閥・集団を形成することはできません。潔癖で公明正大であることは背中を撃つタイプに他ならず、敵味方を問わず正しきを貫こうとする人は信用ならないとして集団から蹴り出されます。

 国政一つ取って見ても分かるように、身内の失敗を強く攻める人はどの政党にもほぼいませんし、居たとしてもそういったタイプの人は集団の核として信任を集めることができませんので政党の中枢としては立ち得ません。

 敵の失敗は厳しく追及し、身内の失敗には目を瞑る、そういった非清廉さこそが民主主義ゲームで勝ち残るための絶対的なルールです。嫌な現実ではありますが。

 

結言

 このような党派性の面倒な点は、民主主義の構造的課題であり是正し難いこと、そしてそもそも党派性は必ずしも悪徳ではないことです。

 まず多数派形成ゲームの目的である「可能な限り最大多数の幸福を目指す」ことを否定することは難しいでしょう。その理念を捨てると独裁や専制のような少数による幸福の独占まで政治体制が後退しかねません。私たちが全体最適を是とするのであれば現状の仕組みを捨て去るのではなく手直しをして徐々に理想形へと近付けていく忍耐が必要となります。

 また、仲間のためを想って献身的に奉仕するリーダー像は条件次第では美徳とすら言えます。敵に怒り味方を守ることはそれこそ少年漫画の主人公に求められる善徳ですし、外へは媚び諂い内へは苛烈な態度を取るような人は現実世界でもまず好かれません。上役の顔色を窺い部下へきつく当たる上司よりも、その逆のほうが大抵は望ましいでしょう。

 

 つまるところ民主主義と党派性は非常に複雑な関係であり、少なくとも「ああすればいい、こうすればいい」といった単純な解決方法は無いこと、そして党派性に釣られてむやみやたらと攻撃的になる意味は無いことへの理解が必要です。

 政治における言論の場で攻撃的な表現を用いる人はそういった党派性を意識的なり無意識的になり認識しているためであり、何も相乗りする必要はなく、それはそういったものだとだけ考えればよいでしょう。