忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

選挙が無くても政治の話をしよう

 

 どこかで注目を集める選挙があると政治の話題が各所で花開きますが、私はひねくれものなのでちょっとズレた感想を持ってしまいます。

 

 「政治はブームではなく、日常であったほうがいいんじゃなかろうか」

 

 月に一度程度の頻度で【政治・経済】のカテゴリに属する記事を投稿している身としては、そんな感覚です。イベント時に盛り上がるだけではなく日常会話の一つに位置付けられていたほうが健全な政治的コミュニケーションが取れるのではないかと思っています。

 

感情的な争いを避けるための日常化

 過去の記事でも引用したことがありますが、一般社団法人中央調査社が2006年に行った意識調査結果では政治の話をしない理由の一つに「人を傷つけそうだから」が上位となっています。

政治の話はタブーなのか―インターネットユーザーに対する実証分析から―| 中央調査報 | 中央調査社

 

 たしかに政治の話題は個人の信念や価値観や信仰に抵触しやすいトピックの一つであり、人を傷つけそうだと懸念することは妥当です。

 ただ、極論を言えばどのような話題だって人を傷つけることは起こり得ます。音楽であろうと、スポーツであろうと、ペットであろうと同様です。どんな話題であっても相手の心を傷つける行為、つまり攻撃的な言説を用いたり相手の大切にしている愛着を毀損するような発言をすれば相手は傷つくわけで、政治の話題であっても同様にそういった言葉を丁寧に避ければいいだけでしょう。

 

 政治の話題においてそういった丁寧さが損なわれがちな原因の一つにイベント性があると私は思っています。

 選挙・政争・疑獄・不祥事などセンセーショナルでアクロバティックでドラスティックで非日常的な政治的イベントが生じた時はどうしても人は冷静になれず感情的に盛り上がってしまいます。

 そしてそういった時にだけ政治の話題をしていると、必然的に政治の話題は感情的で攻撃的で丁寧さに欠けた言説が多くなってしまうことでしょう。

 

 それを避けるためには普段から日常的に政治の話題をすることです。

 特に大きな政治的イベントに関連しない日常的な状況で政治の話をすると、人は案外温厚に話ができます。世間のブームに当てられて感情が高ぶっている時以外にそうやって温厚なやり取りをすることに慣れることができれば、政治の話題で人が傷つくことは恐らく減っていくことでしょう。

 

結言

 雑な言い方をしてみると、”推しのスポーツチーム”が試合に負けて感情的になっている時にそのチームへの批判などが受け入れられないように、”推しの政治家や政党や政治信条”に傷が付いた時に時に冷静なトークができるわけがない、そういった話です。

 なにせその時点ですでに心に傷を負った状態であり、そのような時に動き回れば傷がふさがるどころか出血が酷くなるばかりです。そのような時はむしろ大人しく眠って回復しなければなりません。

 そういったドラスティックなタイミングではなく、もっと冷静になれる日常的な状況でこそ政治の話題を話したほうが健全なコミュニケーションを取れるし、人を傷つけることもなくなるかと思います。

 だからもっと日常的に、むしろ日常においてこそ政治の話題をしましょう。

 そして大きな政治的イベントにおける言説は、普段よりも丁寧さに気を付けましょう。