忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

承認欲求を満たしたいならば量ではなく質に着目すること

 表題だけで充分ですが、それはそれで寂しいので少し説明を付け加えていきます。

 

承認欲求

 マズローの欲求5段階説の4段階目"Esteem needs"は日本語で「承認欲求」と訳されることが一般的です。

 日本語では「承認欲求」と「自尊心」は別のものとして扱われることが一般的ですが、Esteemは直訳すると「自尊心」であり、Esteem needsは尊重を求める欲求を広く意味しています。よって細かいことを言えばマズローによるEsteem needsは「承認欲求」だけでなく「自尊心」をも含む概念ではあります。

 とはいえそういった細かい話はさておいて、承認欲求とは「他者からの尊重」や「自身の価値の承認」を求める欲求全般を指すと言っていいでしょう。

 

 承認欲求は欠乏に属する欲求です。他者からの尊重や承認が必要ない人間はいません。欲求の強さは人によって程度の差こそあれど、空腹の時に食料を求めるのと同様に承認欲求は誰でも持っています。

 そして食欲と同様に、過剰な充足を求めることは不適切な結果をもたらすことも同じです

 

欲求の満たし方

 欲求そのものの存在は悪ではありません。全ての欲求は生物が生きる上で必要な要素が欠乏している際のシグナルとして存在しています。生理的欲求はその不足が生死に直結するものですし、痛みや恐怖から生じる欲求は危険から遠ざかるための重要な信号に他なりません。欲求は生物にとって必要不可欠な存在であり、それを悪いものとして扱うことは不適切だと言えるでしょう。

 しかし欲求の過剰な充足は毒です。過度な食事は心身のバランスを崩し、過剰な睡眠は社会生活に支障を来たします。金銭への欲求や性欲なども同様に、膨れ上がった欲求を無限に満たそうとすれば相当な幸運に恵まれない限りは身を亡ぼすことになります。

 繰り返しになりますが、欲求とは欠乏を知らせるシグナルです。よって欠乏さえ満たせればよく、シグナルの求めに従い過剰に充足しようとすることは不適切です。

 

 欲求の適切な満たし方、それは量ではなく質に着目することです。

 なにせ量には際限がありません。量を追い求めればいずれは無限に辿り着きますが、私たちの現実のリソースでは無限に到達することはできないため必ずどこかで欲求を充足できなくなります。

 それに対して質は経済学で言う「限界効用逓減の法則」に従い、所定の満足度で効用がサチレートします。つまり質は求めても限界がある以上、欲求を満たすのであればこちらを重視することが合理的です。それは例えば安いジャンクフードを大量に摂取するのではなく美味しい良いものを適量食べることや、惰眠を貪るのではなく質の高い睡眠を取るようにすることなど、そういったものです。他の欲求にも全て同様のことが言えます。

 

 そして承認欲求もまったく同様です。

 人が生きていく上で他者からの尊重や自己の価値の承認は不可欠であり、その充足を避けようとすれば自らを粗末に扱う愚に陥りかねません。

 だからこそ承認欲求自体を否定する必要はありませんが、その満たし方には注意が必要だと言えます。

 承認欲求を数で満たそうとすることは多くの場合で不適切な結果をもたらすでしょう。なにせ承認してくれる他者の数には人口の制約がありますし、そういった物理的にも精神的にも距離が遠い人からの承認は内面を見た上ではなく表面上の承認に過ぎず、質が低いものです。人が他者へインスタントに与える価値とはそれ相応の質に過ぎません。

 承認欲求を満たすのであればそういった量ではなく質、つまり自らの内面や心理を理解してくれている他者からの質の高い承認を求めることが理想的です。

 相手のことを深く理解した上での承認は時間が掛かり難しいからこそ高品質です。しかしそれは数を追い求めるよりも効果的に欠乏を満たしてくれます。

 

結言

 極言すれば、尊重や承認の質が充分に高いならば、それをもたらしてくれる人がたった一人だったとしても問題はありません。重要なのは欠乏を満たすことであり、過剰な承認を得ることではないのですから。