忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

語りたいことを語りたい

 連休中なのでブログもまったり進行。ここ数日は適当な話題で適当な話を適当にしています。この場合の適当はちょうどいいことという意味合いではなく、いい加減という俗的な意味です。潔い開き直りと前向きに捉えることができるかもしれませんね、実態は適当なだけですけど。

 

アクセス数と記事に関して

 連休中であることが理由なのか、それとも記事が適当なせいか、ここ数日のアクセス数は低調です。でもいいんです。私がその時に語りたいことを語ることがこの駄ブログの目的であり、アクセス数を稼ぐことが目的ではないのですから。

 むしろアクセス数が多かった記事に合わせた文章を書こうとしてしまうと私が窮屈になってしまうだけです。この駄ブログでは統計データの内訳を見る記事、カテゴリで言えば『データ・国際ランキング』のPV数が多い傾向にありますが、そればかりでは書いている私が面白くないのです。統計データを見ること自体は趣味ですが、それを毎日投稿するとなると延々と統計データを見続けなければならず、それはもはや仕事じゃないですか。こういうのは興味を持った統計に対して気分転換にやるから楽しいものであり、根を詰めて毎日データとにらめっこするのは面白くありません。

 もちろんアクセス数を目的としたブログを否定したいわけではありません。検索に適したキーワードを考慮し、アクセスを分析してより求められている記事を検討し、人の役に立つことを書くことは凄いことです。世の中の役に立っているのはそういった努力をしているブログであり、私が作っているこの駄ブログではありません。

 

目的を比較する意味は無い

 ただ、私は目的が違うというだけです。

 例えば健康のためにランニングをする人とマラソンでオリンピックを目指している人がいるとしましょう。どちらも走るという手段は同じですが目的は全く異なります。前者は健康であり、後者は勝利です。

 そして目的の違いに優劣は無いものです。それぞれの求めるものに従って行動すればよいだけであり、比較をする必要は存在しません。目的は人それぞれ違って良いのであり、誰もが同じ何かを目的にしなければいけないという法はないのです。

 人には出来ることとやりたいことの違いがあって当然であって、それは優劣の差ではないということです。マラソン選手がフルマラソンでベストタイムを更新する、普通の人がフルマラソンを完走する、足の骨折が治ってリハビリをしている人が走れるようになる。それぞれ目的の高さや難易度は違いますが、それぞれに価値があり、そしてそれぞれに尊いものでしょう。ここに優劣なんて不要です。

 巷で言われる『大きな目的を持たなければならない』というのは大きな誤解ということです。優れた人でしか成し得ない大きな目的を持っている人は確かに立派に見えるかもしれません。しかしそれは結果の大きさに対する事前評価であり、大きな目的そのものが評価されるのはおかしな話です。人は目的そのものではなく行動した結果や取り組む姿勢によって評価されるものであって、大きな目的を持つこと自体が目的となってしまっては本末転倒というものです。

 もちろん世の中に大きな結果をもたらしたいのであれば必然大きな目的を持つことになりますが、それは事後的なものでしょう?大きな目的が先にあるのではなく、結果として目的が大きくなったというだけの話です。

 

結言

 つまるところ私は語りたいことを語りたいのであり、それが目的です。そのためであれば私が言葉を紡ぎにくくなる要素は可能な限り排除する必要があります。読んでくださった人の反響や意見は私の新たな意見に繋がるので閉じたくない、アクセス数は別に目的には繋がらないので気にしない、記事の傾向や専門性は自由気ままに書きたい、そういった方向性を持って今後も継続していきたいと思います。

 読んでくださっている方には少し申し訳ないのですけどね。毎日違うことを語っていて傾向が掴めないでしょうから。まあ、『パルプ・フィクション』のようなものだと思っていただければ。あの映画も好き嫌いが物凄く分かれますけど・・・