忘れん坊の外部記憶域

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人に敬意を払うこと

 世の中には明文・不文律問わず、様々なルールや決まり事があります。

 ルールや決まり事は時に個々人の行動を制約する好ましくない存在となりますが、その不都合を堪えて守ることが共同体に安定をもたらし、そこに所属する人々の幸福に資することへ繋がります。

 もちろんそれが度を過ぎれば全体主義的な態度になりかねませんし、時には非合理的なルールや決まり事もありますのでそれは是正が必要です。

 しかしルールや決まり事の完全な不存在もまた望ましくありません。それは紐帯の切断に繋がり、共同体に所属することで得られている利益すら損ねることとなります。

 つまるところバランスが重要であり、ルールや決まり事とは適量が重要な苦い薬のようなものです。程度が過ぎれば毒となり、適量であれば健康を維持することができます。

 

 そんな世の中の不文律の一つとして、個人的には「人に敬意を払うこと」があると考えています。

 

”人”に敬意を払う

 敬意とは尊敬や尊重を示す行為や態度を意味します。

 そして尊敬や尊重とは多義的ではあるものの、[重要だと考える/肯定的に捉える/賞賛の思いを伝える/気遣いや配慮を示す]といったポジティブな行動です。また「敬う」とは相手に対して礼儀をつくすことを意味します。

 

 敬意を示す方法にはいくつかありますが、よく見かけるものは自らを下に置き、卑下し、遜って、自らの重要性を貶めることで相対的に相手を持ち上げる方法です。

 ただ、私はこれを適切な敬意の示し方だとは考えません。たしかに過度な謙遜は他者へ敬意を示す一つの方法ではありますが、その実、敬意の対象が極めて限定的だからです。

 相手を重んじることは自分を軽んじることと同じではありません

 他者に敬意を払うために自らを貶める行為は自らに対する敬意に欠けていると言わざるをえません。

 

 敬意を払うことは自らを貶めることなく可能であり、他者と同様に自らに対しても敬意を払うことが必要です。

 それこそが「"人"に敬意を払うこと」だと言えます。

 

アサーションであることによる利得

 すなわち「"人"に敬意を払うこと」とはアサーティブコミュニケーションを取ることと同義です。

 当ブログでも度々取り上げてきましたが、アサーティブコミュニケーションとは互いを尊重し合ったコミュニケーションを意味します。

 互いの人権を尊重し、相手の意見を傾聴して、それを必ずしも全て呑み込むのではなく、自分の意見も隠さず正直にふさわしい表現で伝える。たとえ互いの意見が異なり衝突したとしても、すぐに折れて相手に従ったり自分の意見を強引に押し通したりせず、手間と労力を掛けて意見を譲り、譲られ、互いの納得がいく結論を導く。

 そのような姿勢をアサーション、そのようなコミュニケーションをアサーティブコミュニケーションと言います。

 

アサーティブコミュニケーションと権威勾配 - 忘れん坊の外部記憶域

 尊重し合う対象は”互い”であることが重要です。相手を尊重し、同時に自身も尊重することがアサーティブコミュニケーションであり、過度な謙遜によって自らを貶めるような敬意の示し方ではアサーティブコミュニケーションが成立しません。

 

 現代社会はコミュニケーションパスが膨大になっています。かつては近所の範囲でしか交わせなかったコミュニケーションも、現代では顔も知らない遥か遠くの人とさえ行えます。結果、コミュニケーションによる摩擦の発生頻度が世界全体で見ても個人単位であっても莫大な量となっていると言えるでしょう。

 この摩擦によって失われているのは人々へ還元されるべき共同体の資源に他なりません。摩擦が無ければ速やかに再分配された資源が合意形成の遅れによって適切に分配されず、そもそも摩擦自体の解消のために費やされています。

 これは大いなる無駄であり、摩擦は低減されなければなりません。

 そのためにはアサーティブコミュニケーションによって「人に敬意を払うこと」こそが摩擦と摩耗を防ぐ潤滑油として機能すると考えます。

 

結言

 もちろん「人に敬意を払うこと」すなわちアサーティブコミュニケーションは面倒だと思う人がいるかとは思います。

 しかしこれは冒頭で述べたルールや決まり事の不都合と同様です。その手間と面倒を堪えて守ることには巨視的に見て利得があります。人によっては苦いこの薬も、必要なものです。

 

 

余談

 「敬意を払う」の「払う」は様々な意味を持っています。

 主としては「箒で払う」「蜘蛛の巣を払う」など何かしらを振って除ける行為を指す言葉ですが、そこから転じて自らが所有している事物を外に出す行為にも使われています。「お金を払う」「犠牲を払う」「部屋を払う」「注意を払う」など、金銭や大切なもの、あるいは不要なものや余分なもの、さらには精神的なものまでも私たちが「払う」ことのできる事物です。

 

 すなわち、自らを貶めて相対的に敬意を払おうとする人は、手持ちの敬意が無いからこそ敬意を捻出するためにそうせざるを得ない状態だと言えます。

 そういった卑下を避けてアサーティブコミュニケーションを取るためには、まずは何よりも敬意の貯蓄が不可欠です。真に他者へ敬意を払える人とは払えるだけの敬意を所有している人に他なりません。

 よってまずは無理に他者へ敬意を払うのではなく自分自身を尊重することを優先したほうがよいでしょう。自らを重んじ、肯定的に捉えて賞賛し、気遣いや配慮をすることで敬意は貯蓄されていきます。そうすればいずれその余剰分を他者へ払うことができるようになると考えます。