忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

1000日連続投稿と相成りました

 

 今回の投稿で、ブログを始めてからちょうど1000日、そして1000日連続投稿となります。

 わーい。

 

(投稿直前のスクリーンショット、9がいっぱい並んでいる)

 

 まあ好き勝手語りたいことを毎日だらだらとのべつ幕無しに語り続けてきているだけですのでそこまで感慨や達成感などはないのですが、とはいえ良い区切りではあります。古(いにしえ)からのネットの民の一員として"キリバン"文化を保護していく姿勢を見せることとしましょう。

 と言ってもせいぜいADSL時代くらいからですので、ダイヤルアップ接続時代からの古参からすればまだまだ若造ではございますが。

 

中道的アイロニスト

 1000日連続投稿ということは1000日連続投稿したということですが、そこに意味を見出すかどうかは人それぞれです。継続を是とすることも、継続ではなく内容を重視することも、そもそも継続や連続性に意味を見出さないことも、どれも人それぞれの価値基準でありそれらは並立しえます。物事の持つ様々な側面(アスペクト)をどう感受するかは観測機である個々人に依存するものです。

 たとえば、あるカレーを辛いと思う人も、辛くないと思う人も、どちらもそれぞれの感性の話であって、それは正誤や善悪で峻別するものではありません。

 

 個人的には何事についてもこのような思想、中観による中道的視座を保つローティ的なアイロニストでありたいものです。個々人の価値判断や思想信条はそれが他者や公共への阻害とならない限りにおいて自由であり尊重したいと考えます。

 洋の東西が混ぜこぜですが、それこそが中道的かつアイロニスト的だと言える、かもしれません。

 

 私が両論併記を好むのはこれが理由ですし、アサーティブコミュニケーションを好むのも同根です。中道は「双方の異なる見解の中心に立つ」ことではなく「異なる見解を止揚する」ことによってさらに良い結果を求める姿勢であり、そのためには異なる両論の存在と闘技的コミュニケーションではないアサーションな状態が必要です。

 

 また、対立より融和を好むのも大元は一緒です。

 対立構造に関しても様々な記事を書いてきましたが、私は対立軸そのものの生起を否定しているのではなく、対立による摩耗を否定しています。対立した意見それ自体は両論を生むためにも必要です。しかしそれが衝突して減耗することは無駄であり、勿体ないと考えます。

 

 過去にも例示したことがありますが、私にとって人の意見は料理の具材です。

 そして議論とはそれぞれが持ち寄った料理の品評会ではなく、それぞれが具材を持ち寄って美味しい料理を作ることです。他者の持ってきた料理を否定するのではなく、皆でたくさんの具材を出し合って、そして皆で協力して美味しい料理を調理をする行為だと考えます。

 そのためにはたくさんの具材(意見)が必要ですし、協力して調理をするアサーションな融和姿勢も必要です。

 さらに言えば、ここで言う融和やアサーションとは滅私や遠慮ではありません。他者の意見を尊重するのと同程度に自身の意見をも尊重することです。意見を相対化し、勾配を打ち消し、自身と他者に同じ重み付けをすることこそがアイロニストの理想とする姿勢です。だからこそ私は多くの記事で自身と異なる意見を引用しますし、同時に自身の意見も提示しています。どちらが偉くどちらが正しいではなく、どちらも尊重されるべき具材です。

 

 つまるところ、甘い料理と辛い料理で争ってどちらかが残った世界よりも、甘い料理と辛い料理と甘辛い料理がある世界のほうが幸福の総量は増える、そんな話です。

 この思想の根底は幸福の最大化であり、臆面もなく述べるならば、私の理想は人々がそれぞれの幸福を追求できる状態であること、すなわち『世界平和』です。

 

結言

 このブログでは日々思索していることを好き勝手語っていますが、実のところそこまで根底部分には変化がなく、同じことを異なる表現と異なる側面をもって語っているだけだったりします。

 まあ、さすがに1000日間も毎日投稿していると飾った人間性を保つことは難しいので、軸がブレていないというよりはただ地金を晒しているだけです。

 今更ですので今後もメッキ等はせずにこのまま自由気ままにやっていきますので、よろしければご照覧いただけますと幸甚です。