他国の政治動向を観察することは学者や専門家以外にとってあまり有意義なことではありませんが、まあ国際社会を理解する上ではそこまで無意味でもないかと思います。
そんなわけで・・・どんなわけかは分かりませんが、ちょっと気分転換がてらドイツ辺りに目を向けてみましょう。
ドイツはどこに向かってるんでしょうね
昨今の日本語圏での国際政治ニュースはアメリカ大統領選挙の動向が話題を掻っ攫いがちですが、ドイツの政治も色々な意味でアメリカ大統領選挙よりも面白い様相を呈してきていると思います。
まず前提として、現在のドイツでは圧倒的に強い政党はいません。現在の政府も中道左派系の3党連立です。メルケルさん全盛期には単独で第一党を取れるほどにイケイケだった中道派のCDU(ドイツキリスト教民主同盟)は今や栄枯盛衰とばかりに得票率が低下しつつあり、世論調査では極右のAfD(ドイツのための選択肢)の後塵を拝するまでになっています。
そして露骨な反移民ポピュリズムの極右姿勢に対して様々な批判を浴びつつも何だかんだ支持を拡大してきたAfDですが、1月中旬にスキャンダルとして「亡命希望者」「居住権を持つ非ドイツ国民」「同化しないドイツ国民」を海外に「再移住」させる計画についてこっそり集まって話し合っていたことがすっぱ抜かれたので大変なことに。
まだスキャンダルの範疇で事実認定までは行われていないものの、まあ歴史を知る人であれば「言ってることがナチスと一緒じゃねえか、ユダヤ人移住計画をまたやりてえのかよ」と思うのも宜なるかな。現代でヴァンゼー会議をやるなよと。『ヒトラーに例える論証』は詭弁ですが、今回は例えるどころか同じことをやっているので妥当な批判になっています。
ちなみに笑いどころとしては、秘密会議にはAfDの人だけじゃなくてCDUの人も参加していたあたりでしょうか。なんとも笑えない話です。
そんなわけで世論はAfDの支持者と非支持者、親移民と反移民で二分されててんやわんや、ドイツの「戦う民主主義」がその鉈を振るいAfDを解散させるかどうかが今後着目すべき点です。
個人的に「戦う民主主義」にはあまり肯定的ではないので行使して欲しくはないものの、ドイツならやりかねないとも思っています。
※戦う民主主義
自由民主制度を破壊しようとする自由の敵には無制限の自由は認めないという理念に基づいた民主制。現政権が危険と判断した思想は取り締まることができる。ドイツに共産党が無いのは過去にこの理念に基づいて解散させたため。それってつまりナチスとやってること同じでは・・・?
右派も左派もなんだかナチス的な仕草を示していて、笑えないけど笑うしかない政治情勢のドイツはどこに向かっているのか、なんとも興味が尽きないです。
単純な世界観からの脱却
少しシニカルに語ってきましたが、本題に入りましょう。
過激な極右勢力が台頭してきているドイツにおいて「戦う民主主義」の鉈を振り下ろしてAfDの首を刎ねれば万事解決、世はことも無し、そんな結果になるでしょうか。
当然そうはならないでしょう。
右派ポピュリズムの権化とも言えるAfDが世論調査で優勢ではありますが、彼らは象徴に過ぎません。彼らは扇動者であり、そして扇動者は人々の意志を曲げて異なる方向へ導くのではなく人々の意志に押し上げられて高い位置に立つものです。
多くのメディアではこのような政治家に対して”ある定型的な批判”を行います。
それは「あいつのせいで社会が分断された」「あいつが悪い」と言った類のもの、政治家個人に対する批判です。
実のところ、これは大きな錯誤を生み出してしまうと考えます。この手の政治家が台頭したことによって社会が分断される訳では無いからです。
民主主義国家におけるポピュリストはその和訳の一つである大衆迎合主義者という言葉が示す通り、人々の意思を汲んでそれに迎合する形で支持を獲得します。
つまり、その人物は確かに分断を象徴する存在かもしれませんが、分断の根本原因ではありません。そのような人物がいるから分断が起きるのではなく、分断が起きているからそのような人物が権力を獲得するのです。
彼・彼女は原因ではなく、結果に過ぎません。
この手のポピュリストと支持者に関する現代の代表例としては、誰もがご存じアメリカのトランプさんが挙げられます。彼を支持していた人たちが2020年大統領選挙での敗北と共に世の中から消えて居なくなったかと言えば、そうはなっていないことが2024年の今でも分かるでしょう。
同様に、たとえAfDを解党させたとしても彼らを支持している民衆が消えて居なくなるわけではない以上、解散は効果的とは言えません。民主主義にとっての悪手である言論弾圧を実施してなお効果が薄いことを思えば、「戦う民主主義」の鉈は倉庫にしまっておいたほうがいいのではないかと個人的に愚考するばかりです。
つまるところ焦点とすべきは、21世紀まで様々な分野で繰り広げられてきた「敵・味方」の対立構造を乗り越えられるかどうかです。
中世や近現代とは異なり、現代の先進国では敵対者を壊滅することはできません。かつては敵対者を暴力によって社会から排除して集団の意志統一を図ることができていましたが、現代ではそういった暴力的行動は禁止されています。
よって20世紀以前の「敵・味方」の発想のまま社会的闘争を行ってしまうと、殴り合いによって怨嗟を溜め込んだ異なる集団間での苛烈なまでに広がった分断を抱えたまま社会を維持する必要性が生まれます。それは必然的に社会の不安定化と格差の拡大を招くこととなり、その社会で暮らす誰にとっても幸せではありません。そんな社会的分断があってはどうにもならないことは、それこそ分断の最先端を行くアメリカ政治を見れば分かることです。
これからの時代に必要なのは「敵・味方」の対立構造のような単純な世界観からの脱却です。
もちろん意見の対立自体は避けようがないことです。しかしその際には対立相手を敵だと認定して殴りかかるような原始的欲求を抑えこみ、温厚で融和的なやり取りに徹すること、相手を悪魔化するのではなく異なる意見を持った人として尊重すること、排除の論理ではなく止揚の論理を適用すること、それが現代社会で求められるコミュニケーションであり、現代において社会の分断を避けるための唯一とも言える方策となります。
結言
当ブログで度々引用していますが、2019年にアメリカのオバマ大統領が演説で語ったことがとても好みです。
「他人に石を投げているだけでは、世の中に変化をもたらすことはできない」
他者を短絡的に敵と認定して殴りつけることはたしかに簡単で楽でしょう。なにせ頭を使わなくたってできます。
しかしそんな単純な発想ではもはや上手くいかないことを人類は歴史から学んできたわけです。
先達の知見から学ぶことは決して恥ではありません。
いえ、むしろ先達から学ばないことこそが恥です。
余談
今回の事例も、ある意味欧州の悪いところの詰め合わせ的なところがあるかなと。
イギリスやフランスが率先してやり始めて、その後にドイツが同じことをやろうとするとバッシングするという、反ユダヤ主義で過去にやらかしたパターンを今度は反移民でやっているだけの、まあいつもの流れです。
◆英下院、不法入国者のルワンダ移送法案を可決 最高裁判断を回避する内容 - BBCニュース
歴史は繰り返すものです。誰もアンコールなんてしていないというのに。