あまり人様の記事を直接批判的に取り上げるのは好みではない・・・と言い訳しつつも時々そんな記事を書いているのでなんともアレではありますが。
今回も、ふと見かけた記事に絡めて見解を述べていきます。
品質と性能の混同
話題とする記事は以下です。
この記事の趣旨は次のようなものだと解釈します。
■制度やルールは守らなくてはならない、不正を行った企業は擁護できないしその責任は大きい
■しかし制度やルールが適切か、時代に合っていないのではないか、顧客との契約内容や要求が過剰ではないか
■レピュテーションリスクを避けるため、国家として品質管理の在り方を見直したほうがよい
著者は「あえての問題提起」とされていますが、とても適切だと思います。実情に沿っていない過剰な要求のまま制度やルールが固定されていることはたしかにあり、それが品質不正を招いている側面は間違いなくあります。
なにより過剰品質は日本の宿痾です。そしてそれは高品質を意味しません。
これは品質の定義を紐解けば簡単な話です。
JIS Q 9000:2015
対象に本来備わっている特性の集まりが、要求事項を満たす程度
ISO 8402:1994
The totality of features and characteristics of a product or service that bear on its ability to satisfy stated or implied needs.
製品またはサービスの特徴及び特性の集合で、明示又は暗示されるニーズを満たす能力に関連するもの
品質とは顧客の要求を満たしているかどうかで決まることであり、顧客の要求には性能に限らず価格や入手性やデザインなども含まれます。
つまり顧客の要求を満たそうと必要以上に機能や性能を詰め込んだとしても、それによって顧客が暗示的に持っているニーズの一つである『買いたいと思える価格』を上回ってしまうようであればそれは高品質とは言えません。高性能ではありますが、低品質です。
言い方を変えれば、特性の集合においてどれだけの数を満たしているかが重要であり、一つの特性を過剰に満たしていたとしても他の特性を満たせてなければ高品質とは言えません。品質とは足し算ではなく掛け算です。特性の一つが0点であれば、たとえ他の全ての特性が120点だとしても総合点は0点です。
よって過剰品質を戒める元記事の指摘はごもっともです。私たちは過剰品質ではなく高品質を目指さなければなりません。
ただ、残念ながら元記事内でも品質に関する誤解があるように見受けられます。
三菱電機や神戸製鋼での不正について、誤解を恐れずに、かみ砕いて表現すれば、顧客との間では「上ロース」を提供することになっていたが、「並」でも顧客が求める味が十分に出せたので、「並」を「上」と偽って供給し続けた。そして、それによって「食中毒」が発生したわけではない、ということだ。神戸製鋼の場合は、こうした行為が不正競争防止法に反するとの司法判断が下りた。
例え話として分かりやすいのですが、これは品質ではなく性能が充分あるというだけの話です。顧客との契約は「上ロース」を提供することであり、そして契約を履行することは顧客の要求事項に他なりません。
よってたとえ実際に必要な性能が「並」で充分であったとしても「上」ではないものを提供することは契約違反であり、契約違反とはすなわち顧客の要求事項を満たせていないのだからこれは明確に品質不正です。たとえ性能を満たせていたとしても関係ありません。
制度やルールの柔軟性
上記の事例で言えば、性能さえ満たしていればいいとして嘘をついたりズルをするのではなく、やるべきことは交渉と調整です。
元記事の結論とも多少重なりますが、実際に必要な性能が「並」であるなら「並を提供する」と契約を見直せばいい話です。それを怠ったからこそ不正をした企業は世間から批判されます。
制度やルールは固いもののように見えて、実は曖昧で柔軟です。あまり厳密に決め過ぎてしまうと後々に問題が生じる場合があるため、幅広い条件に合うよう相当な部分が不明瞭であったり明記されていなかったりします。
適当な例え話をすれば、「この部屋に入るときは帽子を脱ぐこと」というルールがあった場合、どのような形状であれば帽子と認定されるのか、ハットはダメでキャップはいいか、ハチマキやブルカならば許されるか、そもそもこの部屋に入るときとは足が入った瞬間か胴体の半分が入ったときか、といったような感じです。
この曖昧な部分をどうするか決めるのは審査官や当事者です。
個人的な体験談として、以前にアメリカの認証機関と規格取得のやり取りをしていた際の話をしましょう。
規格認証において重要なのは試験そのものではありません。その前段階、審査官との交渉と調整こそが真髄です。たとえこちらがどれだけ規格文書を読み込んでそれに沿っているであろう資料を提供しようとも、審査官がそれを通すとは限りません。制度やルールに曖昧な部分がある以上必ず重箱の隅をつつく余地は残ります。
よって審査官と密に連絡を取り、何度も調整をして、必要になる文書や図面、試験項目や試験方法を詰めていく必要があります。図面一枚送るにしても完璧なものを作りこんでから提出するのではなく、まずはフォーマットや記載事項をラフに書いたポンチ絵を共有して必要事項の遺漏無いことを確認してから作ります。試験項目だって審査官の言うがままに従うのではなく、どういった試験をどう実施するかを喧々囂々とやり合います。審査官は審査と規格のプロではありますが、審査の対象となるシステムやサービスのプロではありません。だからこそ交渉と調整の余地があります。
当時、交渉と調整に掛けた時間と実際に手を動かして働いた時間は8:2くらいの比率でした。まさしく段取り八分仕事二分です。段取りに時間を割いたおかげで実務はスムーズに進み、遺漏なく、問題なく、そして支障なく規格取得へと至りました。
交渉と調整を行わず審査官の言う通りにしていた場合は実務が2どころか20くらいになっていたため、段取りに力を入れたのは正しい選択だったと考えます。このような時にその20を厭い嘘をついたりズルをすることこそが不正であり、そのような発想は戒められなければなりません。
結言
ルールは破るものではなく、上手く取り扱うものです。
ちょうどここ最近も「うちのルールに従ってこれこれこういった膨大な資料を作成しろ」「アホかテンプレ要求してくんなこんなにいらねえだろこれとこれだけで認めろや」と交渉して調整しているところなので、タイムリーな気持ちです。
だって「商品の名前を変えます」「であれば我が社の変更ルールに基づいて作動耐久試験を実施して結果を報告してください」レベルの馬鹿馬鹿しいことを言われたので、そりゃ交渉しますよ、ええ。