忘れん坊の外部記憶域

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ダイハツさんの品質不正に関して別業界の技術屋が思うところ

 わーお、今度はダイハツさんの品質不正!

 まーた「日本の製造業がー!」と謎の連帯責任的批判が各所で吹き上がるかと思うと製造業の人間としては気が重いですね!

 

 一緒にしないで欲しい。切に。

 

設計と品質が負うべき異なる責任

 そんなわけで八つ当たり的に、少し厳しめの口調で一技術屋の見解を述べていきましょう。

 不正の内容自体は各所で報道されているので詳細はさておくとして、今回の品質不正はうちのブログでも度々話題にしてきたようなテーマの複合です。

 

 まず品質保証を担当する評価部門の発言権が弱すぎる

 品質に懸念がある時は設計部門に突っ返すだけの組織内権力を品質保証部門に与えなければ牽制のしようがないなんて当たり前の常識です。これは作業者レベルではなく組織デザインの問題であり、つまりは経営幹部の不作為です。

 

 分かりやすい事例としては製造業における昨今の品質不正問題が挙げられるかな。品質第一を謳っているような企業でも、実際には品質保証部門の牽制機能が働かずに設計・製造・営業が不正を起こしているパターンだね。

 なぜ牽制機能が働かなかったかと言えばそれはもう単純な話で、設計や製造、営業とかの部門のほうが発言力が強いから。もう少し難しい言葉を使えば権威勾配が大きすぎたからだね。

 大抵の組織は縦割りやセクショナリズムが生じるから、普通は他部門に口を出すのは憚られるようになる。それは仕方がないことなんだけど、だからこそ本当に経営陣が品質第一を考えているのであれば品質保証部門に一番発言力が強い人を配置しないといけない。そうしないと牽制機能なんて果たしようがないんだ。

 

 そもそもプロセスごとにどの部署がどんな権限を持っているかを定めてそれに従うなんてことはISOの基本中の基本でしょう。

 例えば弊社であれば、開発部署が設計した製品は必ず設計評価プロセス上で品質保証を職務とする別の人が評価して、必要スペックを満たしていなかったり問題があった場合はストップが掛かります。その際は開発部署の意見よりも品質保証部門のほうが絶対に上です。

 彼らの仕事は開発日程通りに評価をすることではなく、ダメな製品を市場へ流出させないことです。よって開発日程通りに進まなくても彼らに責任はなく、そうはっきりと決まっているからこそ彼らは心置きなくストップを掛けることができます。そして品質保証部門は開発日程ではなく市場での品質に責任を負っており、市場で問題が起ころうものなら自分たちが大変なことになるからこそ必死になって職責を果たそうとします。

 だから普通の品質保証部門は数字を弄るような不正をする動機も機会もありませんし、もし開発部署が数字を弄っていたとしても後でバレて鬼詰めされます。

 私も一応は設計で飯を食っていますので数値を弄るなんて馬鹿馬鹿しいゴミみてえな不正をするつもりは一切ありませんが、そういった個々人の意識に頼るのではなく仕組み上でも弄れないようにしておくことが必要です。人の責任感と善性だけに頼った仕組みは絶対に破綻します。だからこそクロスチェックを行い、止める責任がある部署に止めるだけの権力を与える、そうしなければいずれ誰かが必ずやらかすでしょう。

 

 というか日野さんの不正でも思ったのですけど、なんで認証試験に通るかどうかを品質保証部門が気にしないといけないのか、正直意味が分からないです。

 普通に考えて、認証試験に通らなかったら、そんな設計をした私たち設計部門の責任じゃん?

 そこで責任を負わせないと、責任をもってまともな製品を作る真っ当な設計者なんて育たないよ。

 

だから目標設定をまともにやれ

 次に目標設定

 今回も様々な品質不正と同形で、開発日程がタイトでありそのための人員も手配されておらず、開発日程を遵守することへの上層部からの過度なプレッシャーが主な原因です。すなわち過剰な目標を達成するために品質不正へ手を染めています。そのように品質不正へ着手する動機を生み出す異常な目標設定は戒められなければなりません。

 目標とは具体的で確実に達成できるものですので、適切に目標が設定されていれば着地点も明確です。対して願望によって立てた計画が達成できるかは運否天賦なので運によっては達成できない場合があります。その際に起こり得る最も恐れるべき弊害は成果の偽装や不正です。方法が明確ではないということは、どんな方法も取り得てしまうことに他なりません。

 近年日本を騒がせた製造業の検査不正、東芝のチャレンジ、スルガ銀行の不正融資、海外であればVWの排出ガス不正、歴史的事例で言えば中国の大躍進政策などが良い事例で、方法も決まっていない、達成できるかも分からない願望の必達を上から掲げられてしまうと、下には偽装や不正を行うインセンティブが発生してしまいます。

 誰だって降格や叱責などの処罰を受けたくはありませんし、あわよくば出世や昇給をしたいものです。そのためには偽装や不正を行っても良いと考える人が必ず現れます。その隙を生んでしまうのは弱い心の責任などではなく、そもそもの計画が適切でないことが原因です。できないものは本来どうしたってできないのです。それを無理に達成するよう求めれば後は偽装や不正に頼る他無くなってしまいます。

 

 組織不正の概念に不正のトライアングル(動機・機会・正当化)がありますが、そのうちの『動機』を生み出すものの1つが上層部の無理な目標設定です。

 無茶苦茶で非現実的な目標を設定して、さらにその必達を強引に迫れば下部組織が不正を行う動機になるのは火を見るより明らかです。組織不正を避けて適切な組織運営を行うためには正しい目標設定が不可欠であり、適切な目標設定をすることは経営者の為すべき責務です。

 

 製造業の基本中の基本である「三現主義」、すなわち現場・現物・現実を重視する考えは目標設定でも重要です。現場が捌き切れないだけのタスクを押し付けるような現実を見ていない目標設定は論外です。現実にそぐわない適当な目標であればそこら辺を歩いている中学生にだって立てられます。そんな目標しか立てられないような幹部に高給を貰う資格はありません。

 

職人気質を侮るなかれ

 ついでに、私の過去の事例を参照してみましょう。

 設計開始から4か月、設計計算と基本的な試作評価を終えて、細かい評価試験を行っている時にそれは起きた。所定の条件下において、強度が持たずに部品が破断した。まったく想定していなかった箇所、設計時に見落としていた瑕疵が、ここにきて顕在化した。

 ベテランであれば強度設計の勘所は分かっている。それを見落としていたのはひとえに私の経験不足と間抜けに過ぎない。誰にも責任転嫁することは許されない。初めてとはいえ私が設計の主担当なのだ。

 強度の改善無しに販売することは有り得ない。直ちに設計計算へ手戻りせざるを得ないが、だがすでに残り2か月、今から設計計算に戻っていては当然ながら顧客納期には間に合わない。

 

 もはや腹を括るしかない。たとえどのような罵声を受けようとも、機会損失の損害賠償に発展しようとも、納期が間に合わないことを顧客に報告しなければならない。「悪い報告こそ早くしろ」という社会人の常識は骨身に染みている。今すぐにでも報告すべきだ。遅延の責任は会社のものとなるが、その報告や行動の責任は主担当である私にあるのだから。

 

 ここには組織風土やコンプライアンス意識の違いが如実に表れています。

 品質が保証できないものを市場に出すくらいならば損害賠償を支払ったほうがマシ、それを末端である設計担当者から上層部まで組織全体として認識しているからこそ、納期通りの納品ではなく設計の改善に舵を切っています。もちろん開発日程を遵守できずに損失を出すことへの叱責はありますが、問題を隠して駄目なものを市場に流すことのほうが許容されません。

 納期よりも品質を重視するのは少し嫌味な言い方をすれば「古臭い職人気質」です。昔気質の刀鍛冶が「この出来じゃあ納得いかねえ、作り直すからあと何日か待ってろ」というようなものです。

 それはたしかに現代のビジネス速度からすれば望ましいものではありません。ですが、それが信用を生み出して商売の継続に繋がることを忘れてはいけないと私は思っています。ブランドで商売している組織は特にです。顧客はそのブランドが持つ信用に高値を払っているのですから

 

結言

 つまるところ、今回のダイハツさんの不正は規模は大きく内容は悪質ですが原因自体はとても典型的な事例でしょう。無理な目標設定が不正の動機を生み、組織デザインの失敗が不正の機会を作り、そして組織風土が不正の正当化をすることで見事なまでに不正のトライアングルが完成しています。

 大掃除として組織の膿を出し切ることを期待します。

 

 とはいえ個人の経験則上、車屋のエンジニアは優秀で真面目な融通の利かない人が多いので、ちゃんと組織の大掃除をすれば復活できると思っています。

 

 

余談

 安全性の評価試験で不正をする倫理観は理解に苦しみますけどね。燃費の不正よりも桁違いに質が悪いです。

 品質工学における品質の定義とは「製品が出荷後に社会に与える損失」であり、人命に影響があるところこそキッチリカッチリやるのは常識だろうに。