忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

親戚付き合いを蔑ろにしたいわけではないのだけど

 

 オチの無い雑談をします。

 

 もはや誰にも救いようがないレベルの記憶力を誇り、記憶に関しては今後も仕組みと機械に頼って生きていこうと決め込んでいる私ですが、そんな記憶力なので人の顔と名前を記憶することも苦手です。

 顔はなんとかまだ辛うじてある程度は記憶できますが、名前がどうにも出てきません。そもそも先日は書類に書く自分の名前すらパッと出てこなかった体たらくですので、人の名前なんてなおさらです。

 一応、声を聴けば誰だか思い出せるのでそこまで日常生活に支障を来たすことはありません。他者の識別は名前や見た目ではなく耳でやっている節があります。

 

 ところで、年始に鬼籍へ入った祖父は7人兄弟でした。よって親族の集まりがあるとそこそこの人数が集まります。

 

 そんなわけで、祖父の一周忌法要がありました。

 ロシア文学かと突っ込みたくなるくらいに登場人物が多く、人を覚えることが苦手な私にとっては少ししんどい行事です。

 

なにが悪いかと言えば、まあ頭だろう

 私ももういい歳をした大人だというのに、親族がゾロっと集まると頭のリソースを識別に相当食われます。持ち前の物怖じしない性格を活用してコミュニケーションは取れるのですが、頭の中では

(ええと、この人はじいちゃんの一つ下の妹の息子の奥さんで、お子さんは居たかどうか・・・)

と脳内親族データベースを必死に検索している始末です。

 年に一度くらい会う機会のある親族であればまだなんとか脳内DBでさっと照合できるのですが、会ったこともない親族となるともう私の記憶力では無理です。一度も会ったことがない「父の姉の旦那のお母さん」の話を振られても、さっぱりです。その人の話題を過去に聞いたことがあるかどうかすら覚えていません。

 親族くらいちゃんと頭に叩き込んでおくことが大人の礼節だとは分かっているものの、なかなか気持ちに脳が追い付かないのが困りものです。

 

 登場人物の多い群像劇は好きだけども苦手、私はそんな人間です。ドラマや小説なら何度も見直せるので楽しめますが、何度も見返せない現実は苦手です。

 まさか、「ちょっと参加者を把握しきれなかったので一周忌法要をもう一回やりましょう」なんて言えないですし。言ってみたいですけども。

 

技術の発展を待っています

 機械に頼って生きていくことを決めている私としてはAR(拡張現実)の発展に期待しています。たぶん私の記憶力が向上するよりもエクステンデッドリアリティの発展のほうが早いでしょうし。無理なことを無理にやるよりも線引きをする、それが人生の秘訣の一つだと信じています。

 こう、専用のガジェットを装着して、名前や年齢や家族構成など対面している人に関する記憶が空間上にオーバーレイでこっそり表示されるようになれば楽だな、なんて。

 そんな近未来を待っています。なんとも後ろ向きなポジティブ思考。