忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

喪中なのか、喪中ではないのか、それが問題・・・か?

 

 新年です。

 昨年の年始に祖父が逝去されたため喪中・・・かと思えば、寺や親族の都合を考慮した結果、昨月のうちに一周忌法要を実施したため今年の正月は喪中と言っていいのか分からない絶妙な加減となりました。

 とはいえ祖父はお祭りなどハレの日や慶事が好きな人でしたので子どもや孫が正月をおめでたい気持ちで過ごすことは問題ないと思っているかもしれませんし、なんだかんだとキッチリした人でもありましたので多少は真面目な体面を保ったほうがいいと思っているかもしれません。

 なんとも難しいところです。昭和気質の頑固なおじいさんであり、何かを思っていても人前では口に出さない人でしたので。

 

 まあ、とはいえ態度にははっきり出るので分かりやすくはありました。たとえば嫌いなものを食べた時などは分かりやすかったです。嫌いとか不味いとかは言わず、しかし露骨に渋い顔をする人でした。

 子どもの頃は食べ物の好き嫌いをする度に散々拳骨を食らっていたので祖父のそういった仕草もよく覚えていますが、まあ本人もそういう教育をしている手前、嫌いだから食べたくないとは言えなかったのでしょう。言行一致は立派なことです。

 

 そんなわけで祖父の顔を見れば正月にどんな顔をしていて欲しいと思っているかは大体分かるのですが、もう見れないので分からないのは仕方がないです。

 

年始か・・・

 さてさて、新年です。

 例年通り年末年始は里帰りなんてものをするため、なんだかんだとゴタゴタしておりなかなかブログに時間を割くことができません。

 

 ちなみに、里帰りと言っても盆と正月程度しか両親に顔を見せない親不孝者ではございますし、「便りが無いのは良い便りだよね」と言い訳すると怒られます。そりゃそうだ。

 帰省無精の連絡無精なため、たまに電話なんてしてみると「どうしたんだい!何かあったんか!?事故か!?病気か!?」とお袋の肝を冷やしてしまうためさらに電話しにくくなる悪循環。誰が悪いかと言えば、私です。

 連絡無精は間違いなく悪癖なのでどうにかすべきなのでしょうが、こればかりはいかんともしがたいところがあります。私は口先が達者な自覚はあり、飯のタネとしての武器の一つでもあるので、大体のことは上手く口車に乗せることができます。しかしだからこそその口先を身内や親しい人に向けるのは個人的に好みではないと言いますか、そういった功利的な部分は切り離して精神的な部分でのみ接したいと思っています。

 

 という言い訳です。たぶん気恥ずかしいだけだと思います。けっこう恥ずかしがり屋なんです。

 

結言

 年末年始はあまりブログに時間を割けず、散文的な雑文が多くなって記事の質も低くなる傾向があり申し訳ないです。記事の質が低い、つまりはいつも通りの通常営業です。

 今までと同様、まずはとにかく大過なく無事に生存することを目標に今年もゆるりと頑張って参りますので、お付き合いいただけますと幸甚です。